「璃奈、蓮司が帰ってきたって、聞いている?」
賑やかな個室で、如月璃奈の隣に座る女子が、満面の笑みで口を開いた。
今夜は大学の同窓会だ。それなりに盛り上がっていたが、佐伯蓮司の名前が出た途端、場がぴたりと静かになった。みんな、璃奈が笑い者になるのを待っているのだ。
大きな円卓を囲む人波の中でも、璃奈の姿は一際目を引いた。最上級の白磁のように透き通った小さな顔は、どこを見ても艶やかな光を放っている。
璃奈は美しい瞳は微動だにせず、目の前の水を一口含んだ。「知らないわ」
別の誰かが口を挟んだ。「あの時の二人の恋愛、すごかったよな。みんなずっと一緒だと思ってたのに、まさか璃奈が他の人と結婚するなんてね。今や蓮司はスターライト・メディアの社長だぞ。正直、めちゃくちゃ後悔してるんじゃないの?」
元クラスメイトの女子がからかうように言った。「旦那さんも小金持ちとは聞くけど、蓮司ほどじゃないでしょ。新しい男より元カレの方が良かったんじゃない?ねえ?」
みんながくすくすと口元を覆って笑った。
璃奈は少し酒が入っていて、頭がぼんやりしていた。彼らの声がただうるさく感じられるだけだった。彼女はバッグを手に取って立ち上がった。「みんなは続けて。私、体調が悪いから先に帰るわ」
「そんな急いでどこ行くんだよ。旦那に早く帰ってこいって言われてんの?」
いたずらっぽい男の声が響き、個室のドアから二つの人影が入ってきた。
璃奈が顔を上げると、後ろにいたのは佐伯蓮司だった。
三年の月日が経ち、彼は黒のタイトスーツに身を包み、渾身に鋭い気迫を纏っていた。その視線は、まっすぐ璃奈の身上に釘付けだった。
さっき声を上げたのは、彼の大学時代のルームメイト、須藤明彦だ。
蓮司が現れると、個室にいた女性陣の目が一瞬で輝いた。彼のルックスは悪くない。在学中も学内トップクラスのイケメンとして有名だったからだ。
明彦は異様な眼差しで璃奈を見ると、口の端を歪めて嘲笑った。「璃奈、せっかくだし旦那も呼んで一緒に遊ぼうぜ?」
「彼は忙しいの。私ももう帰るわ」 璃奈は蓮司の視線を無視し、明彦に軽く会釈をして歩き出した。
彼女が出て行くと、明彦は蓮司を見て言った。「見たかよ。合わせる顔がないんだろ。金に目がくらんでお前を捨てた女だ、ここに来る資格もねえよ」
蓮司はその言葉に反応することなく、きびすを返して璃奈が去った方向へ走り出した。
明彦は眉をひそめて訳が分からないと叫んだ。「おい、どこ行くんだよ!」
璃奈はエレベーターを降り、エントランスの外へ向かっていた。
「璃奈!」蓮司がいきなり駆け寄り、彼女の腕を掴んで問い詰めた。「俺に会ったのがそんなに気まずいか? 後ろめたいことがあるから急いで逃げるんだろ?」
璃奈はよろめいて転びそうになりながら、冷ややかな目で彼を見上げた。「離して」
蓮司は手を離すどころか、さらに彼女を引き寄せた。身長差を利用して上から見下ろす。「俺を捨ててあいつと結婚したくせに、まともなアクセサリー一つ買ってもらえないのか。それがお前の選んだ道か?」
「私の勝手でしょ、あなたに関係ない」 璃奈は彼に触れられるのを嫌がり、力任せに手を振りほどこうとした。
二人は入り口で揉み合いになる。
その時、一台の黒いランボルギーニがゆっくりと入り口に止まった。
見慣れたナンバープレートを目にして、璃奈の瞳がわずかに揺れた。
蓮司も彼女の反応に気づいて振り返った。その瞳の奥が、知らず知らずのうちに暗く沈む。
ドアが開き、長身の男が姿を現した。彼が降り立った瞬間、周囲の温度が数度下がったような威圧感が漂う。
璃奈はその隙に蓮司の手を振りほどき、彼のもとへ駆け寄った。「明後日帰るって言ってなかった?」
時任悠真は近づいてくると、自然な動作で彼女の腰を抱き寄せた。低く、磁石のように人を惹きつける声で言った。「仕事が片付いたから、早めに戻った」
その親密な仕草を見て、蓮司の瞳から光が消えた。
悠真は冷ややかな目で蓮司を一瞥したが、言葉は璃奈に向けた。「君の同級生か?」
璃奈は驚きに目を瞬かせ、無言で頷いた。彼は蓮司との関係を知っているはずだ。場の空気が一気に気まずくなった。
悠真は軽く顎を引くと、蓮司をじっと見据えて言った。「どうも。璃奈の夫です」