広々としたプライベートシアターのスクリーンには、今もっとも話題の宝石オークションの現場が映し出されていた。
「2000万円、初回入札…」
オークショニアの響く声と同時に、柴田友子の身体は下の男に深く貫かれた。
あまりの激しさに耐えきれず、目の前のたくましい肩に噛みついてしまう。
男は喉奥でくぐもった声を漏らした。
「…少し、力を抜け」 男は彼女の腰をさらに強く抱き締め、しわがれた声で喘ぐように言った。
柴田友子は、自分の噛みつきが痛かったことをわかっていた。
ようやく少し落ち着いて、そっと歯を離す。
謝ろうとしたその瞬間、男の低くくぐもった笑いが耳に届いた。「言ったのは…そっちの口じゃない」
友子は一瞬きょとんとした。
次の瞬間、謝りの気持ちは羞恥の炎に姿を変え、一気に身体の隅々まで燃え上がる。
そのあとも、熱を帯びた戦いはますます激しくなっていった。
やがて、オークショニアの槌が静かに打ち下ろされた。「2億円!」
「では皆さま、伊藤友征様に盛大な拍手を!」
その名前を耳にした瞬間、柴田友子の身体はびくりと強張った。
あまりにも露骨な反応に、男の動きがふと止まる。重たいまぶたを持ち上げ、スクリーンへと目を向けた。
ちょうどそのタイミングで、カメラが伊藤友征の顔を映し出す。
「伊藤家の次男坊か…知り合いか?」男はくすりと笑みを浮かべながら、友子の耳たぶに唇を寄せる。
柴田友子は眉をひそめ、その話題に強い拒絶を示した。
「噂話を探るのも…あなたたちの『サービス』に含まれてるの?」
そう言うと、男はふっと小さく笑った。
サービス、か。
否定はしなかった。ただ無言のまま、彼女の腰をさらに強く掴み、突然に激しさを増す。
周囲は薄暗く、欲望が満ちていく。
肌と肌がぶつかる音が、乱れた鼓動と重なり合い、空気を灼き尽くすほどの熱を帯びていた。
そしてふたりは、ついに頂きへと駆け上がる──
……
すべてが終わったあと──柴田友子は男がシャワーを浴びている隙を見計らい、財布から十数枚の紙幣を取り出して椅子の上に置いた。
そして腰を押さえながら、静かにその場を後にした。
久野斯年がバスルームから出てきたとき、椅子の上の現金に気づいて、唇の端をわずかに持ち上げる。
ゆっくりとタバコに火をつけ、ソファに腰を下ろすと、札束を拾い上げ、手のひらで弄び始めた。
間もなくして、助手の萩原崎が慌ただしく駆け込んできた。
室内には、未だに情欲の名残が微かに漂っていた。その空気に触れた途端、萩原崎は背筋が凍るような感覚を覚え、思わず身をすくめた。「申し訳ありません、久野社長。私の不注意です。少しだけ時間をください、すぐに彼女を連れ戻します!」
ようやく帰国したばかりだというのに、どれだけ備えても、たった一人の女にすら手を焼くとは…
久野斯年は煙をふっと吐き出し、ぼんやりとした目元で天井を仰ぐ。
「いいさ。自分から望んだことだ」
その一言に、萩原崎は一瞬、呆けたように目を見開いた。
そしてふと目をやると、久野斯年の鍛えられた胸元には、生々しく残る指の痕が幾筋も刻まれていた。その瞬間、萩原崎の頭は真っ白になった。
これまで長く付き添ってきたが、久野斯年が女性に触れたところなど、一度たりとも見たことがなかった。いや、それどころか人と肌を重ねること自体、徹底的に避けていた。
外では何か言えない病気を抱えているのでは、とまことしやかに噂されていたほどだ。
なのに今——あっさりと、その一線が破られていた。
萩原崎が思考を巡らせる間もなく、久野斯年の低く深い声が静かに響いた。「伊藤友征の私生活を洗え。30分以内に、やつのすべての情報を出せ」
あの女が、ふらふらとこの部屋に転がり込んできたときのことを思い返す。
身体は火照り、目も虚ろで、まともな意識があるようには見えなかった——あれは、明らかに薬を盛られていた。
長年、欲望を抑え続けてきた彼だったが――彼女の不器用な誘惑に、ついに理性が崩された。
ただ——彼女を抱いたその瞬間、久野斯年ははっきりとわかった。そこに、抗いようのない“壁”があったのだ。
彼女は…初めてだった。
あの伊藤友征と、結婚して2年も経っているというのに。
なのに、初めて?
久野斯年は、あの甘く痺れるような感触を思い返しながら、ふっと唇をゆがめて笑った。
思いがけないご褒美に、心の奥から満たされるのを感じていた。
——ただひとつ、惜しいのは。彼女が、自分の正体に気づいていなかったこと。
……
柴田友子が帰宅したとき、すでに夜は明けていた。
小さく歯を食いしばる。
後半、何度も身体が動かなくなるほど疲れ切っていたのに、それでもあの男は彼女を腕に閉じ込めたまま、執拗に欲を求め続けた。
一体どっちが客なのか、わからない——本当に
考える間もなく、スマートフォンが鳴り響いた。画面には、親友・咲耶衣夢の名前。
「とも〜っ!」電話越しに、まるでプレーリードッグのような高い叫び声が飛び込んできた。「いま、平気なの?大丈夫?」
柴田友子はぐったりとした様子で靴を脱ぎながら答える。「…もう、だいぶマシ」
その弱々しい声を聞いた途端、咲耶衣夢の口調が鋭くなった。「友征のクソ野郎、マジで最低すぎ!別れたいなら離婚すりゃいいのに、薬まで使って計画的にハメるなんて、男の風上にも置けないクズじゃん!?」
その言葉に、柴田友子の胸がきゅっと締めつけられた。
昨日は、結婚二周年の記念日だった。伊藤友征から「お祝いしよう」とメッセージが届き、彼女は丁寧に身支度を整え、心を躍らせて待ち合わせの場所へ向かった——なのに、彼は現れなかった。代わりに差し出された一杯の水。何の警戒もせず口にしたそれは、薬が仕込まれていた。そして、あの夜の狂おしい出来事へと繋がった。
本当に——あれは彼の仕業なのだろうか?
胸の奥に湧き上がる皮肉と苦味を押し殺し、柴田友子はゆっくりと階段を上がっていく。「もう大丈夫、衣夢。この件は…私がきっちりケリをつける」
咲耶衣夢は、友子の性格をよくわかっていた。だからこそ、こんなふうに言う。「何かあったらすぐ言ってよ!一番尖ったヒール履いて、そのクソ男のタマぶっ潰しに行ってやるから!」
その勢いに、柴田友子はわずかに唇を引きつらせるように笑った。
「でもさ、そういえばなんだけど、友子」 どこか好奇心に満ちた声。「昨日の夜、あんたが連れ込んだ男って…誰なの?」
友子の足が止まる。胸の奥に、じわりと嫌な予感が広がった。「…あれ、あんたが呼んだ『相手』じゃなかったの?」
「呼んだよ?でもあんた来なかったじゃん。今朝さ、あの人から電話あって、『一晩中待ってたけど誰も来なかった』って言われたんだよ?だから心配になって電話したの」
「……」
呆然としたその瞬間。目の前の寝室のドアが、突然音を立てて開いた。
反射的に顔を上げる。
そこに立っていたのは、シャワーを浴びたばかりの伊藤友征だった。腰に巻いた一枚のバスタオルだけの姿で、彼女を上から見下ろす。
「…相手って、何の話だ?」