夫が、死んだ弟の愛人――それも妊娠中の女の足を揉んでいるのを見た瞬間、私たちの結婚は終わったのだと悟った。
彼は「組の務めだ」という大義名分を盾に、その女を私たちの家に住まわせた。そして、誓いの言葉よりも彼女の安楽を優先する姿を、私に見せつけ続けた。
決定的な裏切りは、彼女が母の形見である高価な首飾りを盗み、あろうことか目の前で叩き壊したことだった。
その冒涜的な行為に、私が彼女を平手打ちした瞬間、夫は私を庇うどころか、私自身の顔を殴りつけた。
彼は、神聖な仁義を破ったのだ。他の組長の娘に、手を上げた。それは、戦争の始まりを意味する。
私は彼の目をまっすぐに見据えた。そして、亡き母の墓に誓った。あなたの家族全員に、血の報復を遂げてみせると。
そして、父に一本の電話をかけた。その瞬間から、彼の帝国の解体が始まった。
第1章
白鳥 亜紀 POV:
夫が、死んだ弟の愛人――それも妊娠中の女の足を揉んでいるのを見た瞬間、私たちの結婚は終わり、そして彼の人生も終わるのだと確信した。
黒崎組の若頭であり、夫・慎吾にとって弟同然だった誠が死んでから、一ヶ月が経っていた。重く、息の詰まるような悲しみが、港区にある黒崎邸のすべてを覆い尽くし、廊下の隅々にまで死の気配が漂っていた。慎吾はその哀しみを第二の皮膚のように纏い、ただでさえ冷たいその態度に、さらに氷の層を重ねたようだった。彼は東京にその名を轟かせる黒崎組の組長。恐怖と、冷酷なまでの効率性で築かれた名声の上に立つ男。悲しみは彼を弱くするどころか、より一層硬く、近寄りがたい存在へと変えていった。
そんな中、小野寺結菜が現れた。
彼女は小さなスーツケース一つと、膨らみ始めたお腹を抱えて、私たちの家の玄関に立った。お腹の子は、誠の子だと彼女は主張した。この世に残された、誠の最後の欠片なのだと。
慎吾はそれを疑いもしなかった。ただ一言、「彼女はここに住む」と宣言しただけだった。
「これは組としての責任だ」
だだっ広く、無機質なリビングに彼は立っていた。まるで城に君臨する王のように、ただ一方的に決定を告げる。その声は平坦で、昏い瞳は何一つ感情を映していなかった。
その場には、私の父、白鳥会組長の白鳥正臣もいた。父は、片方の眉をわずかに上げた。その静かな不満を、慎吾は見逃したのか、あるいは無視したのか。私自身の抗議の声は、喉の奥でかき消えた。
「彼女には用心棒が必要だ、亜紀。黒崎の血を宿しているんだ」
「用心棒は分かります。でも、ここに、私たちの家に住まわせるなんて…」
やっとの思いで絞り出した私の声は、あまりにも小さかった。
彼は私の言葉を遮った。
「これは組の結束のためだ。話は終わった」
その一言で、彼の妻、組長の妻としての私の地位は、無に帰した。私はただの調度品、この家の建築の一部。パートナーではなかった。
結菜の侵略は、最初はごく静かだった。静かなる支配の、見事な手本。彼女はシルクのローブを纏った幽霊のように、いつも絶妙なタイミングで、私の神経を逆なでする場所に現れた。
彼女が越してきて数日後、私は見てしまった。慎吾がバスルームから出てくる。腰にタオルを一枚巻いただけの姿で、濡れた黒髪から滴る水が、大理石の床に落ちていた。結菜は、まさにその場所に立っていて、ふわふわの新しいタオルを彼に差し出した。
「お使いになるかと思いまして」
彼女はそう呟き、目を伏せた。
背筋に悪寒が走った。それはあまりに親密で、日常的な仕草。妻の、仕草だった。
次に始まったのは、悪夢だった。
深夜、彼女は私たちの寝室のドアをノックする。震える声で。
「夜分に申し訳ありません、亜紀さん、慎吾さん。ただ…誠さんの夢を見てしまって」
慎吾は無言でベッドから起き上がる。闇の中を動く、分厚い筋肉の壁。そして彼女の元へ向かう。彼は何時間も戻ってこなかった。冷え切ったキングサイズのベッドに、私を一人残して。
東京で最も権力を持つ男との四年間の結婚生活のために、私が丹精込めて作り上げてきた「良き妻」の仮面が、少しずつひび割れていった。私は自分のアートも、友人も、好きだった赤や金の鮮やかな服も、すべてを捨てた。完璧で、慎ましい極道の妻になるために。彼のために、私は自分自身を消し去ったのだ。
そして今夜、その仮面の最後の欠片が砕け散った。
キッチンから、ひそやかな話し声が聞こえてきた。私は音を立てず、石の床の冷たさを感じながら裸足で歩いた。そして、目の前に広がった光景に、心臓が止まった。
結菜が椅子に座り、その足を慎吾の膝の上に乗せている。彼は彼女の土踏まずを揉んでいた。その大きく、力強い手が、私がもう何年も感じたことのない優しさで動いていた。彼女は頭を後ろに反らし、満足げな甘い吐息を漏らしている。
それは、究極の裏切りだった。セックスでも、秘密の情事でもない。これだ。この、私の家で、公然と行われる、優しく奉仕的な行為。それは、彼女が私の居場所を奪ったという、明確な宣言だった。
屈辱が、熱く息苦しい物理的な感覚となって私を襲った。それは私への、そしてひいては私の実家、白鳥会の名に対する、深い侮辱だった。
私は音もなく後ずさり、書斎へ向かった。緊急時用に保管していた暗号化されたスマホを取り出す。指が震えながら、父のプライベートな番号をダイヤルした。
父はワンコールで出た。
「亜紀か?」
喉に詰まった塊のせいで、声が出ない。ただ、小さく、壊れたような音を立てた。
「奴が何をした?」
白鳥正臣の声は、突如として静かで、殺意を帯びた冷静さに変わった。彼は分かっていた。当然だ。
「お父様、彼は私たちの家に、深い恥辱をもたらしました」
灰を口に含んだような味のする言葉を、私は囁いた。
「あなたの力が、絶対的な力が必要です」
沈黙があった。書斎で、巣穴にいる獅子のように、復讐の歯車をすでに回し始めている父の姿が目に浮かぶ。
「白鳥会は、お前と共にある。いつでもだ、娘よ。黒崎慎吾の表の顔に、血の報復を開始する。奴はすべてが燃え尽きるのを見ることになるだろう」
冷たい決意が、屈辱感を洗い流していく。私はもはや「良き妻」ではない。私は薔薇だ。そして、その棘がついに姿を現したのだ。
電話を切り、私は二階へ戻ると、ゲストルームで眠った。
翌朝、私はキッチンへ向かった。結菜がそこにいた。慎吾の白いボタンダウンシャツを一枚羽織っている。その布は彼女の肩からだらしなくずり落ちていた。それもまた一つの所有権の主張。私の人生から、また一つ何かを奪おうとしている証だった。
私は彼女の正面にまっすぐ歩み寄り、その瞳を射抜いた。
「脱ぎなさい」
私の声は、ダイヤモンドのように冷たく、硬かった。
「今すぐ」