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すでに別の男の妻なのでお構いなく

すでに別の男の妻なのでお構いなく

5.0

【純潔】結城紗良は、相沢蓮司を愛した。 周知の盲愛。塵のごとき卑屈。 蓮司の心に、忘れえぬあの女しかいなくとも。 年の大半を、海外のあの女に捧げようとも。 あの女がすでに、蓮司の子を身籠っていようとも。 紗良は、蓮司に結婚を乞うた。 迎えた入籍日。あの女の帰国。役所に、蓮司の姿はなかった。 蓮司に捧げた七年。紗良の未練は、完全に死んだ。 連絡先を完全遮断。彼の住む街に、背を向けた。 蓮司は嗤う。どうせすぐに戻るだろう、と。 だが、役所の前。見知らぬ男と婚姻届を掲げる紗良の姿。傲慢な御曹司の狂乱。……後日、未練がましく紗良に追いすがる男の姿が幾度も目撃される。「紗良、すまない、俺が愚かだった。もう一度だけチャンスを!」 応じるのは、女の冷淡な声。 「いい加減にして。私、もう結婚してるの」

目次

すでに別の男の妻なのでお構いなく チャプター 1 初恋のために婚姻届をすっぽかしたあなた。私は実家に戻って政略結婚します

『おかけになった電話は、現在通話中です。のちほどおかけ直しください……』

蒼南市役所の入り口。鉛色のスーツに身を包んだ結城紗良は、洗練された美しい顔立ちを秋の木枯らしに晒し、氷のように冷たい表情を浮かべていた。

手に握りしめた戸籍謄本は、強く握られすぎてぐしゃぐしゃに変形している。

今日は、恋人の相沢蓮司と婚姻届を出す日だった。

丸1日待ち続けたが、結局彼は現れなかった。

蓮司に約束をすっぽかされたのは、これで何度目か。もう数える気にもならなかった。

もう1度電話をかけてみたが、聞こえてくるのは相変わらず無機質なアナウンスだけだ。

紗良がうつむいたその時、スマホの画面にニュースのプッシュ通知がポップアップした。

「#相沢グループCEOの相沢蓮司、帰国した恋人を空港で堂々とお出迎え。2人のアツアツな姿をキャッチ」

タップすると、1枚の写真が表示された。

黒のスーツを着こなす長身で気品のある男。横顔しか写っていないが、その完璧なフェイスラインだけで、世の女性を虜にするには十分だった。

特筆すべきは、その目元に浮かぶ優しい色だ。

紗良は自嘲気味に唇を歪めた。

あんなに優しい蓮司の表情なんて、今まで1度も見たことがない。

さすがは、彼がずっと忘れられずにいる初恋の相手だ。

たった1本の電話で、婚姻届の提出という人生の重要なイベントすら放り出してしまうのだから。

続いて、メッセージアプリの通知が鳴った。

「ネットのニュース、見たでしょ?空気読めるなら、さっさと蓮司お兄ちゃんから離れてね」

送信元の名前は、白石凛子。

蓮司の初恋の相手だ。

紗良が画面を少しスクロールすると、数日前に凛子から送られてきたエコー写真と検査結果の画像があった。

妊娠8週目。

母親の欄には白石凛子の名前。

そして父親の欄には、相沢蓮司と書かれていた。

その画像を見た時も、紗良は全く驚かなかった。

蓮司は毎年、年の半分は凛子のいるフランベル国へ飛んでいる。

これだけ長年通い詰めていて凛子が妊娠していなかったら、逆に蓮司の男性機能に問題があるのではと疑ってしまうレベルだ。

別れを切り出さず、あえて結婚を提案した。

それはきっと、紗良の未練だったのだろう。

18歳の時。大学の門の前で蓮司を一目見た瞬間、どうしようもなく彼に惹かれてしまった。

周りの人間は皆、相沢グループの御曹司である彼は高嶺の花で、軽々しく手を出せる相手ではないと言った。

しかし紗良はそんな言葉に耳を貸さず、飛んで火に入る夏の虫のごとく、溢れる情熱を胸に彼へと突っ走っていった。

猛アタックを続けて3年目、彼女の恋はようやく実を結んだ。

だが、手放しで喜ぶことはできなかった。

告白が成功した次の瞬間、蓮司は凛子からの電話を受け取ったからだ。

そして、木枯らしの吹く中に紗良を1人残して去っていった。

蓮司に忘れられない初恋の人がいると知ったのは、まさにその時だった。

小さくため息をつき、紗良は再び通話画面を開いた。

ただし、今度かける相手は蓮司ではない。

実家だ。

電話はすぐに繋がった。相手の女性が口を開くより先に、紗良は淡々とした口調で告げた。『実家に戻って、政略結婚を受け入れるわ』

電話の主は、紗良の母である三浦真由だった。娘がようやく折れたことに驚いた様子で問い返してくる。『やっと目が覚めたのね?』

紗良は一切の躊躇なく頷いた。『ええ』

真由が尋ねる。『いつ帰ってくるの?』

『20日よ』

それだけ言うと、紗良は電話を切り、車に乗って帰路についた。

道中、胸の奥に広がる痛みをただやり過ごした。

どうせ、こんな思いをするのもこれが最後だ。

家に帰り着くと、紗良はどっと疲れが押し寄せてきた。シャワーを浴びて、そのままベッドに倒れ込んだ。

本当なら、このまま何もかも捨てて出て行くことだってできる。

だがこの7年間で、彼女の生活は蓮司と深く結びつきすぎていた。

残り半月。時間を惜しんで身辺整理をし、彼との関係を完全に断ち切らなければならない。

深夜。

眠っていた紗良は、隣のマットレスが沈み込むのを感じた。直後、ひんやりとした冷たい腕に抱きしめられる。

不快感に眉をひそめると、耳元で低く魅力的な男の声が囁いた。「ごめん」

暗闇の中、紗良は目を閉じたまま長いまつ毛をわずかに震わせた。

「明日の朝イチで、婚姻届を出しに行こう」

次の瞬間。

ベッドサイドのスマホが光った。

冷たい抱擁が解け、蓮司のひどく優しい声が続く。『泣かないで。今すぐ行くから……』

背後で服を着る音を聞きながら、紗良は暗闇の中で音もなく自嘲した。

そしてベッドサイドのランプをつけ、ドアに向かって歩き出した彼に声をかけた。「蓮司、行かないで……」

蓮司は立ち止まらなかった。

そのままドアを開け、大股で足早に去っていった。

遠ざかる足音を聞きながら、紗良は唇の端を吊り上げた。笑いながらも、目尻からはひと筋の涙が音もなく滑り落ちた。

翌日。紗良が起きると、家には見知った顔が1人増えていた。

蓮司の助手である、佐倉悠真だ。

「結城さん。こちらは相沢社長からの贈り物です」

悠真は、テーブルの上にずらりと並べられた宝石やアクセサリーを指して言った。

しかし彼の予想に反し、紗良の反応はひどく薄いものだった。「そう」

悠真の目に驚きの色が走る。

蓮司が贈り物をするたび、彼女はいつも飛び上がらんばかりに喜んでいたのだ。

こんなにも冷めた態度は、初めて見るものだった。

「では、私はこれで失礼します」

悠真はプロ意識が高く、理由を深く詮索することなくその場を後にした。

紗良はテーブルの上でまばゆい光を放つ宝石を見つめたが、心は全く動かなかった。

どうせ全部、悠真が適当に見繕ったものに決まっている。

蓮司の謝罪は、いつだってこんな風に誠意のかけらもない。

幸いなことに、彼女はもう彼に何も期待していなかった。

期待しなければ、心が痛むこともない。

ピコン――。

メッセージの通知音が鳴った。

凛子:「蓮司お兄ちゃんからのプレゼント、受け取ったでしょ?私に感謝してよね。私がプレゼントを贈って謝った方がいいって説得しなかったら、お兄ちゃん絶対やらなかったんだから!」

紗良はスマホを強く握りしめた。

凛子をブロックしていない理由はただ1つ。蒼南市を去った後、これらの暴言のスクショをまとめて蓮司に送りつけるためだ。

彼の中で清純無垢な天使になっている凛子が、裏でどれほど性悪でドロドロした女なのか、とくと見せてやるつもりだった。

深呼吸をして、彼女は自分が住んでいるこの別荘に目を向けた。

ここは蓮司の持ち家で、紗良の私物はそれほど多くない。だから荷造りを急ぐ必要はなかった。

問題は、彼女自身の持ち家の方だ。

蓮司を熱烈に愛していた頃、彼女は彼がいるこの蒼南市に永住するのだと信じて疑わなかった。

そのため、後先考えずに色々と買い込んでしまったのだ。

家電類はどうでもいい。売ってしまえば済む。

紗良が手放しがたいのは、家中に溢れかえる骨董品のコレクションだった。

だが、実家に帰る前に1度病院に行かなければならない。

数日前から胃の調子が悪く、何を食べても吐き気がしていた。婚姻届の提出を優先するため、検査を先延ばしにしていたのだ。

車を走らせ、病院に到着した。

車から降りる前、紗良は病院の入り口が黒山の人だかりになっているのに気がついた。群衆の中から叫び声が聞こえる。「出てきたぞ!相沢社長と彼女だ!」

紗良は長いまつ毛を震わせ、フラッシュの嵐の中、凛子を庇いながら包囲網を突破しようとする蓮司の姿に視線を釘付けにした。

前回はただの写真だった。

だが今回は、目の前で繰り広げられる生放送だ。

蓮司の鋭く冷たい視線に宿る、焦燥と威圧感がはっきりと見て取れた。

「死にたくなければ、退け!」

男の全身から、凄まじい殺気が放たれていた。

トップに立つ者特有の圧倒的なオーラに、その場にいた全員が息を呑み、静まり返った。

しばらくして、1人の記者が恐る恐る口を開いた。「相沢社長、こちらの女性はどのようなご関係で?」

世間では凛子が蓮司の恋人だと噂されていたが、彼自身の口から正式に認められたことはまだなかったのだ。

全員の視線が蓮司に集まる。

車の中に座っている紗良もまた、彼を見つめていた。

蓮司は質問には答えず、長い指でいきなりその記者の首ぐらを掴み上げた。

周囲から一斉に息を呑む音が漏れる。

ーー真っ昼間の公衆の面前だぞ。

相沢蓮司は狂ったのか?

たかが1人の女のために? !!!

しばらくして、蓮司はようやく顔面蒼白になった記者を突き放し、冷ややかな視線で周囲をねめつけた。

「そんなに知りたいのなら、教えてやろう。俺たちの関係を」

「だが――これが最初で最後だ。二度と聞くな」

病院の入り口は、針の落ちる音さえ聞こえそうなほどの静寂に包まれた。

誰もが恐怖に震え上がっていた。

張り詰めた空気の中、蓮司の響くような声だけが落ちた。

「彼女は、この俺が守り抜く人間だ!」

「今後、彼女をつけ回すような真似をすれば、どうなるか覚えておけ!」

その言葉に合わせて、凛子はタイミングよく恥じらうように顔を上げ、か弱い様子で熱狂的な尊敬の眼差しを彼に向けた。

その光景を見て、記者たちが関係性を察しないわけがない。

車の中で一部始終を見ていた紗良は、ふいに診察を受ける気が失せ、アクセルを踏み込んで自分の別荘へと引き返した。

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