黒崎真由は頭がくらくらして、体は車に轢かれたように重かった。喉も火で炙られたようにヒリヒリと痛む。
「水……」
彼女は乾いた唇を舐め、意識が朦朧とする中で呟いた。
首を抱え起こされ、一杯の水が口元に運ばれた。 彼女がぼんやりと二口飲み込むと、突然耳元で男のくぐもった笑い声が響いた。
真由は全身をビクッと震わせた。
振り返り、見知らぬ端正な顔と目が合うと、すぐに悲鳴を上げた。
「誰よ!どうして私のベッドにいるの!」真由は布団を引き寄せて胸元をしっかりと隠したが、その視線はふと止まった。
水の入ったコップがひっくり返り、透き通った水滴が男の整った目鼻立ちに沿って滑り落ち、そのまま開いた襟元へと流れ落ちていた。
麦わら色の胸筋には、びっしりとキスマークがついていた。
真由の視線を感じ取り、島田陽向は口元をほころばせ、わざと襟元をぐっと引き下げた。
「昨夜何があったか、もう一度思い出させてあげようか?」
「でたらめよ!私がそんなこと……」真由はきっぱりと否定したが、言葉を口にしようとした瞬間、断片的な記憶が突然脳裏に浮かび上がってきた。
昨日は、彼女の叔父にあたる橋本結人と、杉本家の令嬢との婚約式だった。
婚約の前、彼女は最後のかすかなの望みを抱いて結人に99回目の告白をしたが、結果は相変わらず無情な拒絶だった。
その後、彼女はバーに駆け込んで泥酔し、さらにその後、ある男の胸に飛び込み、1000万円で彼を一晩買うと豪語したような……
彼女は元々、男性モデルを見つけて結人を怒らせ、自分は彼に頼らなくても平気なのだと思わせたかっただけなのだ。
だが、彼女がイケメンの色気に負けて、本当に一線を越えてしまうなどと。
「思い出した?」
考えれば考えるほど、脳内の映像は鮮明になっていった。
真由は穴があったら入りたいほど恥ずかしかった。
陽向は唇をほころばせて笑い、手を伸ばして彼女の唇の端の水分を拭い取ると、気だるげな声で言った。 「それで、黒崎さんは私のサービスに、ご満足いただけたかな?」
真由は驚いて後ろに縮み上がり、慌てて服を着てベッドから降りた。 ベッドの上の光景を二度と見る勇気はなく、バッグからカードを一枚取り出して投げつけた。
「ま、まあまあね。 カードには1600万円入ってるから、お釣りはいいわ」
そう言い残すと、彼女は一目散に部屋を飛び出し、振り返りもせずに逃げ去った。
残像が残るほどの速さで走り去る真由を目で追いながら、陽向は手元のキャッシュカードをくるくると回し、笑った。「食べ終わったらすぐ逃げる、子供の頃と同じだな」
***
結人はまだ会議中だったが、手元のスマートフォンが突然振動した。
彼は伏し目がちに一瞥したが、キャッシュカードの利用明細を見た瞬間、その表情は途端に険しくなった。
金額のせいではなく、支払先がなんと七つ星ホテルだったからだ。
真由は一晩帰ってこなかったが、ホテルに行っていたのか?
誰と?
真由が家に帰った時、わざわざ時計を見た。
この時間なら、結人はすでに会社にいるはずだ。
彼女はほっと息をつき、ドアを押して中に入ったが、思いがけず予想外の人物を目にした。
「どうして私の家にいるの?」真由は冷たい顔になり、キッチンから出てきた杉本心咲をじっと睨みつけた。
結人はこんなにも早く彼女を、彼らの家に連れ帰ったのか……
「真由、帰ってきたのね?」
心咲は彼女を見ると、最初は一瞬呆然としたが、すぐに女主人のような態度をとった。 「結人が言ってたわ。あなたのご両親は早くに亡くなったから、ずっと実の姪のように思ってるって。彼に代わってあなたの面倒を見てあげてほしいって頼まれたの」
「真由ちゃん、昨夜は婚約式に来なかったけど、このこと事前に言ってなくて、気にしてないわよね?」
真由の体の横に垂らした手が、ギュッとスカートの裾を握りしめた。
彼らの関係は、すでにこれほど親密になっていたのか?
彼女の身の上まで、結人は杉本心咲に話せるようになったのか?
真由は目を伏せ、心の中で「実の姪」という文字を静かに噛み締めると、その瞳にかすかな自嘲が浮かんだ。
「あなたの世話なんて必要ないわ、どいて」目を伏せたまま、真由は相手にする気もなく、足を踏み出して二階へ上がろうとした。
次の瞬間、心咲に手首を掴まれた。
振り返ると、心咲は優しい笑顔を浮かべ、もう片方の手を挙げて、一枚の写真をヒラヒラと振った。
「結人が、結婚したら私がここに引っ越してくるから、不要なものは処分していいって言ってたの。 見てみたら、これあなたのものみたいね」
彼女の手にある写真をはっきりと見て、真由の瞳孔が激しく収縮した。