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十年愛して、ようやく君の心に触れた

十年愛して、ようやく君の心に触れた

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十年、ただ一人の男を想い続けた彼女。 結婚は初恋の人を守るための方便、彼の心に自分の居場所はなかった。 冷たく拒絶され、愛されることもなく、それでも彼のそばにいた。 だが、想い続けた代償はあまりにも大きく―― 心が壊れるほどの絶望の中、彼女の命と新しい命が揺れる時。 彼はようやく気づく。本当にすべてを捧げるべき存在が誰だったのかを。

目次

チャプター 1 離婚しよう

「離婚しよう」

川上彩乃が撮影を終えて帰宅すると、夫の藤井盛雄が一枚の離婚届を彼女の目の前に放り出した。

目の前に立つ、気品漂うその男を見つめる。

三ヶ月ぶりに会ったというのに、彼の口から出た最初の言葉がこれだったなんて……

彩乃が黙っていると、盛雄はわずかに眉をひそめた。

「彩乃、まさか今さら気が変わったとか言うつもりじゃないだろうな?二年契約の結婚だってこと、忘れたとは言わせない。」

──そうだった。

彼らの結婚は、あくまで契約に過ぎなかった。期限は二年。そしてその期限は、ちょうど今日、終わったのだ。

藤井家の奥さまという肩書きも、今日で終わり。

「詩織、もう二十歳になったんでしょ。法的に結婚できる年齢よね。 私たちが離婚すれば、あなたも堂々と……ちょうどいいじゃないの。」そう言って、彩乃は努めて平静を装った。

川上詩織は、彩乃の異母妹で、父親は同じだった。そして、藤井盛雄にとって何よりも大切な存在だった。

二年前、詩織は血液がんを発症した。検査の結果、彩乃の骨髄が適合し、拒絶反応は一切出なかった。

たとえ見知らぬ病人だったとしても、彩乃は迷わず手を差し伸べるだろう。ましてや、相手は自分の妹だ。

だが、盛雄の見方は違った。彼の中の彩乃は冷酷で身勝手な女であり、そんな彼女が詩織を救うはずがない――そう思い込んでいたのだ。

だからこそ──詩織の命を救うために、彼は膝をついてまで彼女に懇願した。

これまでの人生で、彩乃が盛雄のあのような惨めで必死な姿を見るのは初めてだった。

盛雄とは幼いころからの付き合いだった。彼のことを、彩乃は十年も想い続けてきた。

そんな彼が、自分ではなく妹のためにひざまずいたことに、彩乃は嫉妬に狂いそうになった。

その場で、彼に言った。「私と結婚して。」

詩織を助けるためなら──そう言って、彼は二年間だけという条件で、結婚を受け入れたのだった。

二年という時間があれば──彩乃は、盛雄に愛される日が来ると信じていた。

けれど、結果は惨敗だった。しかも、見るも無惨なほどに。

そう思うと、彩乃の唇が青ざめたまま、わずかに吊り上がる。そこに宿るのは、己への皮肉めいた笑み。

盛雄の整った眉と目元には、わずかに苛立ちが滲んでいた。無言のまま手元のペンを差し出し、冷たい声で言った。「……サインしてくれ。」

彩乃は静かに頷き、そのペンを受け取り、協議書の最後のページをめくる。そして、署名欄に自分の名前を書き入れた。

ペンを置き、そっと顔を上げる。彼の瞳は、かつてと変わらず美しかった。星空と海をそのまま閉じ込めたような瞳──ただし今、その目が自分を見下ろすときには、氷のような冷たさが宿っていた。

心が、ざわりと揺れる。盛雄は協議書を手に取り、そこに書かれた名前を一瞥し、ぽつりと口を開いた。

「……詩織の病気が、再発した。」

彩乃は彼の話を途中で遮るように「まさか!それで、私も病院に行った方がいいの?」と驚いた声で尋ねた。

二年前──彼女が骨髄を提供し、詩織の命を救ったのだ。

けれど、藤井盛雄はその申し出を、冷たく一蹴した。「必要ない!まさかまた、あの時みたいな芝居をする気じゃないだろうな?」

その声には、鋭く突き刺さるような敵意が混じっていた。「もう最高の医師を手配してある。適合者も見つかった。 今回は──お前の出番はない。」 そう言いながらも、「詩織が、お前に会いたいって言ってた。」と続けたとき、盛雄の険しい眉はゆっくりとほどけ、冷えた表情にもほんのわずか、ぬくもりが戻っていた。

その変化を目の当たりにして、彩乃の胸がぎゅっと締めつけられる。

「……うん、わかった。」静かに頷き、そう返す。

「今日はもう遅いから、明日……引っ越してもいい?」 彩乃は無理に笑みを作った。ほんの少しでも、盛雄が過去の情にほだされるのではと期待して。だが、彼の返事は冷たく、迷いもなかった。「鈴木がホテルまで送る。」

────追い出すつもりなのか?

たった一晩すら、ここにいることを許されないの?

笑みがそのまま凍りつく。盛雄と向かい合ったまま、数秒間、互いに沈黙が流れた。先に顔を背けたのは彩乃だった。そっと表情を引き締め、踵を返して部屋を出る。

自室へ戻り、まだ詰めていなかった荷物に目を向ける。スーツケースの取っ手を引き上げ、静かに階段を降りていった。それを見た数人の使用人が慌てて駆け寄る。けれど彩乃は首を振って、微笑みながら言った。「大丈夫、自分で持てるから。」

使用人たちは顔を見合わせ、何も言えず、ただため息をついて一列に並び、彼女の後ろ姿を見送った。

二年間、ここで暮らしてきた。藤井家のこの邸宅には、少なからず情がある。──盛雄以外の、ここにいる全ての人が、彩乃に優しかった。

名残惜しい気持ちはあった。だが、盛雄と結婚してからの二年間、彼からの冷たい仕打ちに、心はもう十分すぎるほど傷つけられてきた。

もう、いい。

終わりにするときが来たのだ。

胸が裂けそうなほどの痛みを感じながらも、彼女は一滴の涙もこぼさなかった。

ホテルのチェックインを済ませたときには、すでに深夜になっていた。

一睡もできずに朝を迎え、身支度を整えた彼女は、そのまま中央病院へ向かった。

詩織は個室に入院していた。専属の看護師が付き添っており、ドアのガラス越しに食事を手伝っているのが見えた。だが、詩織は数口食べただけで、すぐにすべて吐いてしまった。その様子に、胸の奥がぎゅっと締めつけられるような苦しさが湧き上がった。

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