この五年間、私は藤堂美月だった。
食品業界の帝王、藤堂家の失われたはずの令嬢として、私を溺愛する両親と、完璧な夫、圭介さんの元へ帰ってきた。
彼らは私のすべて。私が人生でずっと渇望してきた、たった一つの家族だった。
でも、それはすべて嘘だった。
道を一本間違えたことで、私は秘密の農園に迷い込んでしまった。そこで見たのは、幼い男の子と、そして交通事故で死んだと聞かされていた義理の妹、玲奈と遊んでいる夫の姿だった。
私の両親も共犯だった。彼らの秘密の生活と、「本当の」孫のために資金を援助していたのだ。
彼らはただ秘密の家族を隠していただけじゃない。私を社会的に抹殺する計画を立てていた。
圭介さんのパソコンに残っていたボイスメモが、その計画を暴露していた。私が会社の邪魔になれば、抗不安薬で私を薬漬けにし、精神異常者として社会から隔離する、と。
救いだと思っていた愛は、私を閉じ込めるための檻だった。
彼らの愛情を信じていた наиーブな少女はその日に死に、冷たく計算高い怒りの化身が生まれた。
数日後の家族での会食。母がワイングラスを私の前に滑らせた。
「顔色が悪いわよ、美月」
母は言った。
「これを飲んで。リラックスできるから」
それが彼らの計画の第一歩だとわかっていた。ワインには薬が盛られている。
私は微笑み、彼らの目を見つめ、グラスを一気に呷った。
ゲームは終わった。
……私のゲームが、今、始まる。
第1章
藤堂美月 POV:
私の世界は、あの一枚の『家族写真』を見た瞬間に終わった。
この五年間、私の人生は丁寧に作り上げられた楽園だった。
私は藤堂美月。食品業界に君臨する藤堂家の、長年行方不明だった娘として、家族の元へ戻ってきた。
私を心から可愛がってくれる両親と、完璧な夫、圭介さん。彼の優しい微笑みは、私の世界を照らす太陽そのものだった。
彼が私のすべてだった。両親が私のすべてだった。
児童養護施設で育ち、漂流していた私の人生を、ようやく繋ぎ止めてくれた錨だった。
私は彼らに信頼と、私の才能と、心のすべてを捧げた。
五年前、彼らは私に言った。私の代わりに藤堂家で育った義理の妹、玲奈は、悲劇的な交通事故で亡くなった、と。
密葬だった。棺の蓋は固く閉ざされていた。
私を憎み、私の最初の大きなプロジェクトを悪意に満ちた妨害工作で潰し、先祖が築いた会社を倒産寸前にまで追い込んだあの女のために、私は涙を流しさえした。
彼女の「死」は、暗い章の終わりを告げ、ようやく光が差し込むことを許してくれたように感じられた。
今、その光が偽物だったと知った。
始まりは、視察の帰り道に道を一本間違えたことだった。
見たこともない私道。そこには、藤堂グループの小さなロゴが控えめに記されていた。
好奇心という、愚かで運命的な衝動に駆られて、私はその道を進んだ。
その先には、会社が所有しているとは知らなかった、広大で牧歌的な農園が広がっていた。
そして、そこにいた。
陽光が降り注ぐ芝生の上で、小さな男の子と遊んでいる、亡霊が。
玲奈。
彼女は笑っていた。髪は太陽の光を浴びて輝き、生き生きとして、どう見ても、死んではいなかった。
そして彼女の隣で、男の子を高く抱き上げていたのは、私の夫。私の、圭介さん。
その光景はあまりに健全で、喜びに満ちていて、一瞬、私の脳はそれを処理することを拒んだ。
まるで見知らぬ誰かの人生の一枚を覗き見ているようだった。
だが、その男は紛れもなく圭介さんで、女は玲奈だった。
圭介さんの黒い巻き毛と玲奈の輝く瞳を受け継いだその子は、四歳くらいに見えた。
冷たく重い絶望が、胃の底に沈殿していく。息ができないほどの重圧だった。
私は木々の茂みの後ろに車を停めた。手がひどく震えて、エンジンのキーを回すことさえままならない。
古い石垣の陰に隠れ、私はゆっくりと近づいた。心臓が、捕らえられた鳥のように肋骨を激しく打ちつけていた。
優しい風に乗って、彼らの声が聞こえてくる。
「パパ、もっと高く、もっと!」
男の子が歓喜の声を上げた。
パパ。
その一言が、私の全身を凍りつかせた。
「圭介さん、気をつけて」
玲奈の声には、私の血の気を失わせるほどの親密さが滲んでいた。
「お昼寝の前に興奮させすぎないで」
「大丈夫だよ。なあ、大和?」
圭介さんは男の子の額にキスをした。
「僕の小さなチャンピオン」
そして、玲奈の言葉が私の喉に絡みつき、締め上げた。
「ありがとう、圭介さん。このすべてを。私たちを守ってくれて」
「いつでも」
彼は答えた。その声は、毎日私に向けられるのと同じ、優しく、安心させるような声色だった。
「僕は、僕の家族をいつだって守るよ」
僕の、家族。
世界が、ぐらりと傾いた。太陽が冷たく感じる。
美しい農家、緑の畑、笑い声の響く子供――そのすべてが、グロテスクな欺瞞の劇場へと姿を変えた。
私の結婚、私の家族、この五年間の私の全人生……それは舞台だった。
カバーストーリー。彼らを守るために仕組まれた、壮大な嘘。
強烈な吐き気に襲われ、私は口元を手で押さえた。
私が慈しんできた愛、生涯をかけて焦がれた家族――そのすべてが、経済犯罪と秘密の家族を隠すための道具だったのだ。
私はよろめきながら車に戻った。体は自動操縦で動いている。
鍵を探して鞄を漁っていると、スマートフォンが震えた。母からのメッセージだった。
`「美月、変わりない?大丈夫?」`
その何気ない愛情が、今は化け物のように感じられた。
ぼやける視界で、私は画面を見つめた。
彼らは全員、グルなのだ。玲奈の「死」を私と共に嘆いた両親も。この嘘の一部なのだ。
冷たく、感覚のない指が動いて、返信を打ち始めた。
無謀で、自暴自棄なテスト。ガソリンが充満した部屋に、一本のマッチを投げ込むような行為。
`「大丈夫です。ただ、帰り道に変なものを見てしまって。一瞬、玲奈さんを見かけた気がして」`
送信ボタンを押した。
反応は、即座だった。
スマートフォンは震えなかった。鳴り響いた。父からだった。
私はそれを無視して、留守番電話に切り替わるのを待った。
一秒後、私の隠れ場所から見えていたピクニック用のブランケットの上に置かれた圭介さんのスマートフォンが光った。
彼は電話に出ると、背中を強張らせた。
私のスマートフォンが再び鳴った。今度は、圭介さんから。
発信者IDには、結婚式の日に撮った、私たちの笑顔の写真が表示されている。残酷な冗談だ。
私は電話に出た。喉が締め付けられる。
「もしもし?」
「美月?ハニー、大丈夫か?」
彼の声は、完璧に練習された、あの心配そうな響きに満ちていた。
「お義父さんから電話があって、変なメッセージを送ったって。玲奈を見たって、どういうことだ?疲れてるんだよ、きっと」
私は車の冷たい窓ガラスに頭を預けた。爪が手のひらに食い込む。
その小さな鋭い痛みが、渦巻く混乱の中で、かろうじて私を繋ぎ止めていた。
冷静にならなければ。私の役を、演じなければ。
「……わかってる」
私は声を震わせながら、囁いた。
「あなたの言う通りよ。ただ疲れてるだけ。彼女に似た人だったの。びっくりしただけだから」
間があった。
風が木の葉を揺らす音と、遠くで聞こえる男の子の笑い声が耳に入った。
「そうか、それならよかった」
彼は安堵に満ちた声で言った。信じたのだ。
「聞いてくれ、こっちの用事はもうすぐ終わる。すぐに家に帰って、夕食を作るよ。ゆっくり休もう。いいかい、ハニー?」
「ええ」
私はかろうじて答えた。
彼はもう一つの人生へ、本当の家族の元へ戻っていった。きっと、危ない橋を渡りきったと安堵していることだろう。
だが、電話を切った瞬間、冷たいほどの明晰さが私を包み込んだ。
私が結婚した男は、ただの嘘つきではなかった。
彼は、見知らぬ他人だった。
そして、救いだと思っていた愛は、私を閉じ込めるための檻だったのだ。