不妊治療の末, ようやく授かった小さな命.
夫にサプライズで伝えようと, 手作り弁当を持って彼のホテルへ向かったのが間違いだった.
ロビーで私を阻んだのは, 夫に恋い焦がれるVIP総支配人の女.
彼女は私を「社長を狙うストーカー」と決めつけ, 部下たちと共に私を会議室へ引きずり込んだ.
「社長に近づく汚い女は, 私が教育してやるわ! 」
熱々の味噌汁を頭からかけられ, 激辛の麻婆豆腐を口にねじ込まれる.
ハイヒールで指の骨を砕かれ, ハサミで服を切り裂かれた.
私が「お腹の赤ちゃんだけは」と泣き叫んでも, 彼女は嘲笑いながら私の腹部を蹴り上げた.
足元に広がる鮮血.
薄れゆく意識の中で, 駆けつけた夫の声が聞こえたが, 彼はあの女の嘘を信じかけていた.
流産. そして子宮への甚大なダメージによる永久不妊.
真実を知った夫は狂ったように加害者たちを制裁し, 血まみれになって私に許しを乞うた.
けれど, もう遅い.
私の心は, あの日死んだ赤ちゃんと共に冷え切ってしまったのだから.
第1章
あの朝, 病院の冷たい診察台の上で, 私は人生最大の衝撃と歓喜に包まれた. 私の体の中に, 小さな命が宿っていた. この奇跡が, 数時間後には悪意によって引き裂かれることになるとは, 夢にも思わなかった.
ここ数週間, ずっと体がだるかった. 朝起きると吐き気がして, 喉の奥から込み上げる不快感に耐えきれず, 何度もトイレに駆け込んだ. 最初はただの風邪か, あるいは長年の不妊治療で疲れているせいだと思っていた. 遼佑には心配をかけたくなくて, 大丈夫だと嘘をついた.
でも, 症状は一向に良くならなかった. 食欲は落ち, 何を食べても吐いてしまう. さすがにこれはおかしいと感じて, 一人で病院を訪れた. 婦人科の待合室で, 私は心臓が激しく脈打つのを感じていた.
診察室に入ると, 優しい笑顔の女医さんが座っていた. 正直に症状を話すと, 先生は静かに頷き, 検査を勧めた. 採血と尿検査. 結果を待つ間, 私はただぼんやりと天井を見上げていた.
数分後, 再び診察室に呼ばれた. 先生は私の前に座り, 手に持った紙をそっとテーブルに置いた. 「川村さん, おめでとうございます. 」そう言った先生の顔は, 心底喜んでいるようだった.
「妊娠していますよ. 4週目に入ったところですね. 」
その言葉を聞いた瞬間, 私の頭の中は真っ白になった. 世界中の音が消え, ただ「妊娠」という言葉だけが, 私の心を激しく揺さぶった. 信じられない. 本当に?
「え... ? 」声が震えた.
先生はエコー写真を見せてくれた. まだ米粒のように小さな, 本当に小さな命の塊. それが, 私の体の中にいる. 私と遼佑の, 子供.
涙がとめどなく溢れ出した. 頬を伝う熱い雫は, 喜びと感動, そして長年の苦しみが報われた安堵の証だった. 私は嗚咽を漏らしながら, エコー写真を握りしめた.
遼佑と私は幼馴染だった. 子供の頃からずっと一緒で, 自然と恋に落ち, 大学を卒業してすぐに結婚した. 遼佑は若くして巨大ホテルグループ「黒木ホールディングス」の社長になった. 彼は冷徹なビジネスマンとして世間では知られていたけれど, 私にはいつも優しかった.
結婚して5年. 私たちはずっと子供を望んでいた. 何度か不妊治療も試みたけれど, なかなか結果が出なかった. その度に, 私は自分を責め, 遼佑に申し訳ない気持ちでいっぱいになった. 遼佑はいつも言っていた. 「大丈夫, 焦ることはない. いつか巡り合うさ. 君と僕の子供なら, きっと素晴らしい子に育つ. 」彼の言葉は, 凍りついた私の心をいつも温めてくれた.
「ほら, 見てください. 心臓が動いていますよ. 」先生がエコー画面を指差した.
本当に, 点滅する小さな光が見えた. 力強く, 懸命に生きようとしている, 私たちの命. 私は再び涙が止まらなくなった.
先生は, 初期の妊娠は不安定だから, 無理はしないようにと注意してくれた. 「特に最初の3ヶ月は大切にしてください. 激しい運動や重い物を持つのは避けて, 体を冷やさないように. 」
私はそっとお腹に手を当てた. まだ何の膨らみもないけれど, 確かにそこには新しい命がある. この温かさは, ずっと求めていたものだった.
「どうして, 今まで気づかなかったんだろう? 」私はポツリとつぶやいた.
先生は優しく笑った. 「川村さんのように生理不順だと, 気づかないこともよくありますよ. それに, つわりで食欲が落ちたから, 体重も増えていないのでしょう. 」
ああ, そうだった. 最近少し太ったかなと思っていたけれど, まさかそれが妊娠の兆候だったなんて. 私は自分の鈍感さに苦笑した.
病院を出ると, 街の景色がいつもと違って見えた. 全てが輝いていて, 世界が祝福してくれているようだった. 家に帰り着くと, 私は興奮で震える手でキッチンの戸棚を開けた.
遼佑にサプライズで伝えたい. この最高のニュースを, 彼の顔を見て直接伝えたい. 私はすぐに, 彼の大好物である手作り弁当を作り始めた. 彼の笑顔を想像するだけで, 胸がいっぱいになった.
そして, もう一つ. 私は引き出しから, 遼佑と結婚する前に二人で作ったお守りを取り出した. それは, 互いの健康と幸福を願って, 私が刺繍を施し, 遼佑が小さな木片を彫刻して中に収めたものだった. このお守りこそが, 私たちの愛の証. 私はそのお守りの中に, エコー写真をそっと忍ばせた.
今日, 遼佑は視察で「ホテル・ロイヤル黒木」に来ているはずだ. 滅多に彼の職場には行かないけれど, 今日だけは特別だ. 彼に会って, この奇跡を伝えたい. 彼がどんな顔をするのか, 早く見届けたかった.