「あなた、招待客のリストがようやく決まったわ。これでやっと、あなたの奥さんになれるのね……」
曽根明里の言葉が終わらないうちに、男の唇がその呼吸のすべてを奪っていった。
明里の爪が男の背をかすめ、赤い跡が走る。色気を帯びた吐息が漏れ、情熱を宿した瞳は艶やかに潤んでいた。
普段は冷ややかな藤原晟真の表情にも、珍しく熱が滲む。
彼は彼女の腰を抱き寄せ、掠れた声で囁いた。「少し我慢しろ」
そしてそのまま、二人は激しく求め合い、欲望の海へと堕ちていった。
情事の後、明里は晟真の胸に身を預けた。
その胸に円を描くように指を滑らせながら、蘭のような甘い吐息を漏らした。
晟真はその悪戯な指を掴み、冷たく沈んだ声で言った。「明里――離婚しよう」
明里は呆然とし、涙を浮かべながら問い返した。「どうして……?」
結婚して三年。彼が「藤原夫人であることは公表できない」と言えば黙って隠婚を受け入れ、「藤原家を任せたい」と言われれば完璧な女執事を演じた。
藤原家の使用人ですら、厳格な「曽根執事」が実は社長の妻だとは知らなかった。
いつしか、明里が「妻」としてと実感できるのは、夜、彼とベッドを共にする時だけになっていた。
そしてやっと、自分の立場が認められる婚礼が決まったと思ったのに――晟真はあっさりと約束を反故したのだ。
晟真は言った。「和花の継母が、彼女を性的虐待癖のある七十歳の老人に嫁がせようとしている。『藤原夫人』という身分だけが彼女を救えるんだ。俺が助けなければならない」
彼の口調には交渉の余地はなく、一方的だった。「二年だけだ。二年後には復縁し、約束した結婚式も必ず挙げる」
晟真の言葉を聞いた瞬間、明里の目から涙が堰を切ったように溢れた。彼女は一言一言、噛みしめるように言った。「晟真、彼女を助けたい気持ちは分かる。でも、私の気持ちはどうでもいいの?」
明里は目を閉じ、痛みを噛みしめた。
あの年、曽根家が破産し、お嬢様だった彼女は地に堕ち、誰からも見下される存在になった。
ついにはバーでの接待にまで身を落とすしかなかった。
曽根家が抱えた最後の借金を返済してくれたのは、晟真だった。
彼は自分の会社で、明里に花火デザイナーとして働ける場を与えてくれた。
彼が与えてくれたのは、彼女にとって新たな生きる希望だった。
彼は、彼女の救いであり、光だった。
彼女は自ら身を捧げ、晟真と関係を結んだ。
その後、明里は念願叶って想い続けた人と結婚し、いつかきっと晟真の心を溶かせると信じていた。
先週、彼女は自分たちの結婚式のためにデザインした花火を、晟真に見せたばかりだった。
けれど今日、晟真は彼女と離婚しようとしている。
その理由は園宮和花。晟真が「命の恩人」と語り、「妹」と呼ぶ、園宮家のお嬢様のためだった。
晟真は彼女の涙を見ても、明里が駄々をこねているだけだと思い、平然と告げた。「お前、『俺を愛している、俺のためなら命を懸けてもいい』と言ったよな。これくらいの苦しみも耐えられないのか? 和花は俺の命の恩人なんだ。明里、お前は昔から物分かりがいい。がっかりさせないでくれ」
明里の目は涙で霞み、視界はぼやけていた。
胸の奥が針で刺されるように、チクチクと痛んだ。
「物分かりがいいからって、捨てられて当然なの?和花の継母が彼女を無理に嫁がせようとしているのは、私には関係ない。助けるにしても、権力のある人と偽装結婚させればいいじゃない!」
明里は感情を抑えきれず、顔がわずかに歪んだ。
だが、晟真の次の言葉はさらに彼女の心を抉った。「和花が他の男と結婚するのは心配なんだ。もし彼女がいじめられたらどうする」
明里の心は冷えきり、思わず笑みが漏れた。「彼女がいじめられるのが怖いですって? 彼女を妹として見ていると言うけれど、本当は違う感情があるんでしょう?あなた自身が一番よく分かってるはずよ!」
「離婚したいんでしょう?いいわ。離婚しましょう!」
明里は手を伸ばし、自分の頬を濡らす涙を拭った。
晟真は眉をひそめながら彼女を見つめた。「明里、離婚した後、俺たちが結婚していたことは外で言うな。和花が不倫相手だと噂されるのは困る。そうじゃないことは、お前も分かっているだろう」
晟真は、彼女の悲しみも苦しみも、まったく意に介していなかった。
彼が気にかけているのは、ただひとり――別の女の名誉だけだった。
長年、晟真に頭を下げ続けてきた明里だったが、この瞬間、もう耐えられなかった。彼女は手を振り上げ、彼の頬を打った。
「晟真……この数年間、私は馬鹿な女だったとでも思ってちょうだい!」