5年間, すべてを捧げた婚約者の大木一清に, 私は52回も約束を破られた. 店の記念パーティー当日, 彼は新人バイトの小野田結愛を優先し, またもドタキャンした.
「すまない, 春奈. パーティーは中止だ. 結愛が怪我をした. 」
彼の腕の中で, 結愛は勝ち誇ったように私を見つめる. 足首には, ほんの小さな擦り傷があるだけなのに.
親友は怒り, 両親は同情の目を向ける. 誰もが知っていた. このパーティーが, 私の5年間のすべてだったことを.
「次は必ず埋め合わせをするから. 」彼はそう言って, 私の好きなものすら知らないくせに, 子供をあやすように甘い言葉を囁いた.
もう涙も出ない. 心が完全に冷え切った私は, 完璧な笑顔で彼を送り出した.
そして, このパーティーのために数日かけて作り上げた特製のウェディングケーキを, 床に叩きつけた.
「パーティーは, 中止だ! 」
砕け散ったケーキは, 私の5年間の愛の終わり. 私はすべてを捨て, この街を去ることを決めた.
第1章
榊原春奈 POV:
また, だった. 52回目だ. 彼, 大木一清は, 私との約束を, いや, 私たちが5年間かけて築き上げてきたこの店の記念パーティーを, またドタキャンした.
キッチンで, 私の父と母が私を待っていた. 彼らの顔には, 諦めと, 私への同情が浮かんでいた. 彼らは今, 私の両親ではなく, ただの客として, この記念すべき日を祝うために来てくれたのだ.
頭痛がひどかった. 数日間まともに眠れていない. 疲労で体が鉛のように重い. それでも, 私は最高のケーキを作るために, 震える手で卵を割り, クリームを泡立てていた. このパーティーのために, 私は全てを賭けていた.
一清は私の顔すら見なかった. 彼は隣の部屋から聞こえる結愛の笑い声に耳を傾けていた. 新人のアルバイト, 小野田結愛. 彼が最近, やたらと可愛がっている子だ.
「春奈, 大丈夫? 顔色, 真っ青だよ. 」
私の親友で同僚の堀田瑞貴が, 心配そうに私の肩に触れた.
「あいつ, 本当に最低だわ. こんな大事な日に, また結愛ちゃんの面倒見てるなんて. 」
瑞貴の声は怒りに震えていた. 彼女の言葉は私の心の奥底に沈んだ感情を揺さぶったが, もう何も感じられないほど疲弊していた.
「一清さん, 春奈のこと, ほんとに大事に思ってるのかしらね. 」
母の言葉が, 脳裏に響く. そうだ. 誰もが知っていた. このパーティーが, 私にとってどれほど大切なものか. 一清との5年間, この店に注いだ私の努力, そして未来への期待. その全てが, このパーティーに凝縮されていた.
パーティー開始まであと10分. 彼は現れなかった. 心臓が鉛のように重く沈んでいく. もう, 慣れてしまったはずなのに.
その瞬間, 扉が開き, 一清が立っていた. しかし, 彼の後ろには, 少し顔色が悪そうな結愛が立っていた.
「すまない, 春奈. パーティーは中止だ. 」
彼の声は, いつもと変わらず冷たかった. まるで, 今までの52回のドタキャンと同じように.
「結愛が怪我をした. 病院に連れて行かないと. 」
結愛は, うっすらと目に涙を浮かべ, 彼に寄り添っていた. 彼女の足首には, 小さな擦り傷があるだけだ. それなのに, 彼は.
私は言葉を失った. 全身が震え, 体中の血液が凍りつくのを感じた.
「次は必ず埋め合わせをするから. 」
彼は私の言葉を遮って言った. しかし, 彼の目は私を見ていなかった. その視線は, 結愛の小さな怪我に注がれている.
そして, 彼は結愛を抱きかかえ, 私の目の前から消えた. まるで, 私という存在が最初からなかったかのように.
もう何度目だろう. 5年間で, 52回. 数え切れないほどの裏切り. その全てが, 今, 結愛のせいだと分かった. 彼女が, 彼の心と時間を独占している.
以前なら, 泣き叫んでいたかもしれない. 彼を責め, なじり, 感情を爆発させていたはずだ. でも, もう涙は出ない. 心は乾ききっていた. ただ, 静かに微笑んだ. 私の顔には, 完璧な笑顔が貼り付いていた.
彼は私の表情に戸惑っていた.
「春奈, お前, 本当に怒ってないのか? 」
「ええ, 大丈夫よ. 結愛さんの怪我の方が大事だものね. 早く病院へ連れて行ってあげて. 」
私の声は, 驚くほど落ち着いていた. 彼が私を信じているかどうかなど, どうでもよかった.
彼は安堵したように息を吐いた.
「じゃあ, お前が好きなものを買って帰るから. 」
彼はそう言って, 再び私から目をそらした. その言葉は, まるで子供をなだめるかのようだった.
彼の背中が見えなくなると, 私の顔から笑顔が消えた. 彼は私の好きなものを, 何も知らなかった. 私が好きだと誤解している, あの甘すぎるチョコレートケーキ. 一度だけ, 彼が私のために買ってきてくれた, あのケーキ.
かつて, 彼にだけは全てを話した. 私の好きなものも, 嫌いなものも. 彼は「一生忘れない」と誓った. あの言葉は, もう過去の残骸だ. 彼は「忘れない」と言ったけれど, 私自身が過去に彼の記憶に刻もうと努力したことは, もう意味を持たなかった.
体の内側は灼熱なのに, 心は氷のように冷たかった. 熱と寒さが同時に襲いかかり, 全身が震える. これが, 魂が砕け散る感覚なのか.
もういい. 全てを終わらせよう.
私は, ゆっくりと, このパーティーのために数日かけて作り上げた特製のウェディングケーキに手を伸ばした. 純白のクリームに飾られた砂糖菓子は, まるで私たちの未来のようだった.
「パーティーは, 中止だ! 」
私は叫び, ケーキを床に叩きつけた. 美しい砂糖菓子が, クリームとスポンジと共に, 音を立てて砕け散った. その破片が, 私の心を表しているようだった. 散らばったケーキの破片が, 私の5年間の献身と愛の成れの果てだ.
5年間, 彼に捧げた私の愛は, 今, ここに終わりを告げる.