夜が更け、静まり返った部屋に甘美な旋律が流れ始めた。浅野葵は、男の体から漂う心地よい冷たい香りを嗅ぎながらも、どこか心ここにあらずといった様子だった。
「どうした?」
隣にいる男は、葵の心ここにあらずな様子に気づいたのか、彼女の首筋に埋めていた顔を上げて見つめてきた。その眼差しは、昼間ビジネス界で名を馳せる恒光グループのトップとは思えないほど、優しさに満ちていた。
藤堂奏太は、その容姿も体格も非の打ち所がないほど整っていた。葵は、こんな時に気を取られるのは失礼だと感じ、微笑みながら彼の唇の輪郭を指先でなぞった。
「ううん、速水グループとの契約をどうやって勝ち取ろうか考えてただけ」
奏太は彼女が嘘をついていることを見抜き、わずかに目を伏せた。
次の瞬間、葵は思わず小さくうめき声を漏らした。奏太の薄い唇が、ようやく愉悦に歪んだ。「気を取られた罰だ」
奏太は、葵をどうすれば自分に服従させられるかをよく知っていた。
激しい戦いが終わり、葵はほんの数分だけ休むと、すぐに起き上がって奏太のために風呂の湯を張りに行った。
奏太は手を伸ばして彼女を引き留めた。「最近、金に困ってるのか? ベッドの中でも金儲けのことか?」
そう言いながら、奏太の視線は葵のしなやかで雪のように白い体をなぞった。情事を終えたばかりだというのに、葵は奏太の瞳にまだ完全に消えきっていない炎が宿っているのを肌で感じた。
彼女は首を横に振った。奏太はいつも気前がいい。金に困るようなことはない。
世間の目には、葵と奏太は互いに利用し合う関係に映っていた。彼は彼女の体を求め、彼女は彼の金を愛していると。
だが、葵だけが知っていた。この数年間、自分の愛が露見しないよう、どれほど懸命に忍耐してきたかを。
そうでなければ、とっくに奏太に追い出されていただろう。
「ううん」 葵は首を横に振り、澄んだ誠実な眼差しで話題を変えた。「もう帰るの? 帰らないなら、何か夜食を作ってくるけど」
言い終わった時、奏太がベッドサイドテーブルに置いていた携帯電話がタイミングよく振動した。葵は口を閉じ、傍らにあったシルクのパジャマを手に取って身を包んだ。
そして、奏太の落ち着いていながらも溺愛に満ちた声が聞こえてきた。「ああ、すぐに行く」
電話を切ると、奏太は身を起こしてベッドから降りた。引き締まった肉体を露わにしているが、恥ずかしさはなく、むしろ非常に絵になる光景だった。
「今夜は用事があるから、ここにはいない。お前は先に寝てろ」
葵は、電話の向こうから明らかに甘えた女の声が聞こえてきたにもかかわらず、何も言わず、素直に頷いた。
ウォークインクローゼットから奏太の服を取り出し、着せてやる。ネクタイを結びながら顔を上げると、奏太の端正な顔立ちが目に入った。彼女は思わず尋ねた。「もうこんなに遅いのに、藤堂社長はどこへ?」
奏太は答えず、ただ唇の端をきつく結んだ。葵はまた失言したことを悟り、口を閉ざすと、何事もなかったかのように彼のカフスボタンを留めた。
奏太は生まれつき、怒らずとも威厳のある顔立ちをしていた。仕事柄、着る服はフォーマルなものが多く、様々な高級オーダーメイドスーツを身にまとっているため、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
今風に言えば、禁欲的でクールなスタイルだ。
彼女は傍らにあったコートを手に取り、奏太に着せてやった。その時、不意にポケットの中にある四角い箱に触れた。
その箱の中身が何かは、実のところ彼女はもう知っていた。婚約指輪だ。
だが、それは自分のものではない。
今夜を境に、自分と奏太の世間には知られてはならない関係が、終わりを告げるかもしれない。そんな予感がしていた。
翌日、彼女は携帯電話の騒がしい振動音で目を覚ました。携帯を開くと、仕事のグループチャットが大量のメッセージで埋め尽くされているのが目に入った。
だが、要約すれば数文字に尽きる。
奏太が婚約する!
彼女は普段から控えめな性格で、会社で彼女と奏太の関係を知っている者は、奏太の秘書やアシスタントを含めても数人しかいなかった。
そのため、今、部署のグループチャットでの議論は特に盛り上がっていた。
大方、若い女の子たちが奏太に早くアプローチしなかったことを悔やむ、おどけた会話だった。
だが、葵の視線はわずかに止まった。たとえ早くアプローチしたとして、どうだというのだろう? 結局は、同じように捨てられるだけではないか。
彼女はしばらく呆然とした後、指先でそっと画面をタップし、ニュースサイトを開いた。案の定、奏太の非常に特徴的な顔が目に飛び込んできた。
見出しは非常に目を引くものだった。
「恒光グループ社長、明珠グループ会長の一人娘と婚約。今月15日に婚約披露宴を開催へ」