「殿下!こいつをご覧ください。体格が良くて、絶対に遊びがいがありますよ!」
「こいつはいかがでしょう。少々ひ弱ですが敏感でして、鞭を入れるとそれはいい声で鳴きますよ」
「こいつもおすすめです。どれだけ痛めつけても反抗せず、ひどくやられると泣いて許しを乞うので、征服欲を満たすには最高ですよ……」
夜の奴隷市場は、果てなき欲望と強欲が渦巻いている。
奴隷商たちは興奮を隠しきれず、我先にと群がってきた。
この第三皇女殿下が、Cランクのメスで精神力は哀れなほど弱いにもかかわらず、湯水のごとく金を使うことは誰もが知っていた。
わざわざこんなうらぶれた小さな市場に足を運んだのだから……
オスの奴隷を品定めして、持ち帰って嬲るつもりなのだろう。
星野千夏はそれを聞いて、目元を引きつらせていた。
彼女がこの星間獣世界に転生してきて、今日で3日目になる。
前世は身を粉にして働く社畜で、会社のデスクで突然死した。しかし目を覚ますと皇女に生まれ変わっており、当時はその場でくす玉を割って祝いたいほど歓喜したものだ。
だが、この身体の記憶と完全に融合したあと、彼女は沈黙した。
なんと、小説の中に入り込んでしまったのだ。
前世で読んだことのある本だった。内容はこうだ。中央帝国から行方不明になっていたSランクのメスである本物の皇女が、家に戻ったあとに二人の兄に溺愛され、両親にも 大切に育てられる。さらに十数人の優秀なオスたちと甘い駆け引きを繰り広げ、最後は全員と結ばれてハッピーエンドを迎える、というものだった。
当時は夢中で読んでいた。優秀な男たちがヒロインを巡って嫉妬し合い、火花を散らす様を見るのは痛快だったからだ。
しかし、彼女が転生したのはヒロインではなかった。
ヒロインの引き立て役である偽物の皇女、星野千夏だったのだ。
本を読んでいた当時から、自分と同姓同名のこのキャラクターには嫌悪感を抱いていた。
特別に悪辣だったわけではない。すぐ薬を盛ったり暗殺者を雇ったりする典型的な悪役令嬢に比べれば、元主は大きな罪を犯してはいなかった。ただ少し男好きで、わがままで、精神力が低かっただけだ。
だが、作者はこのキャラクターにすべての悪意を注ぎ込んでいるようだった。
本物が戻ってきた途端、可愛がってくれていた両親は彼女を家を乗っ取った詐欺師扱いした。かばってくれていた兄たちは、妹のすべてを奪ったのだと彼女を嫌悪した。想いを寄せていたオスからは暴言を吐かれ、貴族の社交界で群がっていた者たちも手のひらを返して彼女を嘲笑した。
その後の展開で、元主は第二次覚醒を果たして精神力が飛躍し、帝国でも稀少なSランクのメスになるのだが、それでもヒロインの補正に押しつぶされて死んでしまう。
最終的にすべてを奪われ、辺境星へ追放されて餓死するのだ。
その頃、ヒロインは取り巻きの男たちといちゃついているというのに。
千夏は怒りを覚えつつも、まさか自分がその世界に入り込む日が来るとは夢にも思っていなかった。
だからこそ、転生してから必死に考え抜き、あることに気がついた。
まだ物語の序盤だ。助かる見込みは十分にある。
本物が戻ってくるまで、まだ2年の猶予があるのだ。
そして彼女の精神力はまだ第二次覚醒しておらず、Cランクのままである。
今できることは、本物が戻ってくる前に自分の身を守る手段を用意することだ。
金か?
元主は精神力が弱いため、劣等感を隠すために散財する癖がついていた。毎月の生活費は少なくないはずなのに、口座を調べると、こいつは毎月使い切るタイプだったのだ。
権力か?
元主はメスとはいえ精神力が絶望的に弱く、おまけに皇女として甘やかされて育ったため何もしたがらなかった。そのため帝国での役職は一切なく、ただのお飾りにすぎない。
一晩中考え抜いた末、最終的に「人」に狙いを定めるしかなかった。
ヒロインから男を奪い取ることにしたのだ。
もちろん、ヒロインに心底惚れ込むメインのオスたちではない。狙うのは、作中でヒロインの目に留まらなかったものの、そこそこ重要な役割を持つキャラクターたちだ。
要するに、ヒロインの釣り堀にいる稚魚たちである。
たとえば、のちにヒロインの最も忠実な護衛となる黒木蒼真だ。
蒼真は罪人の末裔だ。2年前に実家が没落し、一族は処刑か追放の憂き目に遭い、彼は奴隷に身を落として市場へと流れ着いた。
ヒロインが現れたとき、彼はこの地獄のような場所で丸4年も痛めつけられ、虫の息になっていた。ヒロインが彼を買い取って傷を治し、見返りとして彼の絶対的な忠誠を手に入れたのだ。
今、自分が2年早く来て、彼に忠誠の対象を変えさせればいい話ではないか。
千夏はそう考えながら、市場の奥へと進んでいった。
原作の描写によれば、彼は狼族で、顔に「罪人奴隷」を意味する刺青が彫られている。
10分ほど歩き回ったが、条件に合う奴隷は見当たらなかった。
横では奴隷商がまだぺちゃくちゃと売り込みを続けていたが、彼女は冷淡に遮った。
「罪人奴隷はいるか? できれば狼族がいい」
奴隷商は一瞬きょとんとした。
罪人奴隷を買いに来るメスは、十中八九が腹いせのために買い、持ち帰って思う存分に鞭打ち、痛めつけるのが目的だ。
どうやらこの第三皇女は、本当に憂さ晴らしの玩具を買いに来たらしい。
横でずっと輪に入れずにいた別の奴隷商が、目を輝かせた。
「います!殿下、私のところに一人いますよ!」
千夏は眉をピクリと動かし、顎でしゃくった。「案内して」
奴隷商は慌てて頷き、彼女をさらに奥へと案内した。
奥へ進むにつれ、血の匂いがひどく鼻をつくようになった。
やがて、彼らはひとつの檻の前で足を止めた。
檻は狭く、上から分厚い黒布が被せられており、まるで大きな犬小屋のようだった。
奴隷商はへつらうような笑みを浮かべながら、黒布をめくった。
「この奴隷はまだ完全に飼い慣らされてはいませんが、身体が頑丈で打たれ強く、若くて回復も早いので、長く楽しめますよ……」
檻の中で、蒼真は黙って自分の「長所」を聞いていた。
彼は鉄の鎖で縛られた自分の手足を一瞥し、口にはめられたマズルを強く噛んだ。
(誰だろうか。)
(誰でもいい、ひと思いに楽にしてくれ。)
(これ以上、痛めつけないでくれ。)
光が差し込み、彼は一瞬目を開けられなかった。
ぼやけた視界の中に、華奢なシルエットが檻の外に立っているのが見えた。
心地よい香りが、この場の腐ったような不快な血の匂いを一瞬で切り裂き、彼の鼻腔をくすぐった。
彼は目を細め、顔を上げてその輪郭を見極めようとした。
逆光の中で、彼に見えたのは一瞬で輝きを放った双眸だけだった。
そして、凛とした明るい声が耳に届いた。
「こいつにするわ!」