愛する婚約者に妊娠を報告しようとした夜、私は信じられない会話を聞いてしまった。
この三年間、私を抱きしめていたのは彼ではなく、双子の弟だったのだ。
彼らは、私をいじめていた悪女の嘘を信じ込み、復讐の道具として私を騙し続けていた。
祖母が危篤の夜、彼は悪女の仮病を看病し、私のSOSを冷酷に無視した。
さらには祖母の遺灰をゴミとして捨て、私を崖から突き落として笑っていた。
心身ともにボロボロになり、私の愛と信頼は完全に死に絶えた。
私は冷たい手術台の上で静かに子供を堕ろすと、ある番号に電話をかけた。
「結婚式の当日、彼らの真実をすべてライブ配信してください」
これが、私の復讐の始まりだった。
第1章
―― 長岡華穂 ――
私は、愛する婚約者が私を騙し、三年もの間、双子の弟と入れ替わっていたことを、妊娠の報告をしようとした夜、知ってしまった。彼らは私を陥れる計画を笑っていた。
雨が冷たく、アスファルトを叩く音が激しかった。十一月の東京の夜は、特に冷え込む。私は傘を差し、革のバッグを胸に抱きしめるように持っていた。バッグの中には、光男へのサプライズプレゼントがあった。小さなラッピングボックスと、彼の子供の超音波写真。胸が高鳴っていた。
彼の行きつけの会員制ラウンジ「リュミエール」の前に着く頃には、雨脚はさらに強まっていた。店内からは、楽しげなざわめきと、グラスの当たる音が漏れてくる。私は意を決して、重厚な木製のドアに手をかけた。
ほんの少しだけ、ドアが開いていた。誰かが閉め忘れたのかもしれない。私は中を覗くつもりはなかったが、その隙間から、聞き慣れた光男の声が聞こえてきた。
「なあ、光男。結婚式まであと少しだろ。計画は順調なのか」
もう一人の男の声が聞こえた。光男の声によく似ていたが、少しだけ低く、嘲るような響きがあった。
「ああ、順調だとも。華穂は俺の優しさにすっかり騙されている。俺が三尾光男だと信じて疑わない」
その声は、私の婚約者、三尾光男の声だった。間違いない。彼の声は、いつも私を安心させ、包み込んでくれた。しかし、その声が今、冷酷な言葉を紡いでいた。サプライズを成功させるための期待が、胸を締め付けるような不安に変わった。私はドアの隙間に耳を傾けた。
「彼女は今日、俺に会いに来るはずなんだ」
光男の声が続いた。
「どうして分かった」
別の男の声が尋ねた。
「俺が彼女に残したヒントさ。彼女は俺に、特別な報告があると言っていた。きっと、そのためのサプライズだろう」
光男は笑った。その笑い声は、私にとっていつも心地よいものだった。しかし、今のその笑い声には、私の知らない冷淡な響きがあった。
「まさか、妊娠の報告じゃないだろうな」
男の声がからかうように言った。私の心臓が、ドクンと大きく鳴った。まさか、光男が私の妊娠を知っているはずがない。私はまだ誰にも話していなかった。
「妊娠。まさか。そんなこと、あってたまるか。まあ、もしそうでも、結婚式でぶちまけるネタが増えるだけだ」
光男の声は、軽く笑い飛ばした。私の体から、一瞬にして血の気が引いた。全身が冷え、手足の先が痺れるようだった。
「結婚式でぶちまけるって、あの計画のことか」
男の声が興奮気味に尋ねた。
「そうさ。月岡奈々泉をいじめた悪女、長岡華穂に、最高の罰を与えるんだ。結婚式当日、全ての真実を暴露し、彼女を絶望のどん底に突き落とす」
光男の声が、悪意に満ちていた。私の頭の中が真っ白になった。奈々泉をいじめた。私が。それに、長岡華穂に罰を。まるで、私が別人であるかのように語られていた。
「奈々泉をいじめた悪女か。あの華奢な体のどこにそんな悪辣な心が潜んでいるのか」
男の声が嘲笑った。
「俺が三年もかけて築き上げた偽りの愛の結晶を、奈々泉のためにぶち壊すんだ。最高の復讐だと思わないか」
光男の声は、歓喜に震えているようだった。私の呼吸が止まった。三年もの間、偽りの愛。
「お前も大変だったろう、敦人。ずっと兄貴のフリをして、よくやったよ」
男の声が、もう一人の男を称賛した。
「ああ、最初は苦痛だった。でも、段々楽しくなってきた。華穂は本当に単純な女だ。高所もダメ、暗闇もダメ——まったく、弱点だらけの女だったよ。 暗闇恐怖症の脆弱な女が、俺の言葉一つで簡単に落ちた」
敦人、と呼ばれた男の声が言った。私は、自分が聞いていることを理解できなかった。敦人。それは、光男の双子の弟の名前だ。そして、私は、暗闇恐怖症を光男にだけ打ち明けていた。高所恐怖症のことも——かつて奈々泉に屋上に閉じ込められたことがあると、彼だけには話していた。
「まさか、華穂が敦人に本気になったとはな。お前も大変だっただろ」
男の声が笑った。
「本気。まさか——」
敦人の声が、一瞬だけ途切れた。グラスの中で氷が溶ける、かすかな音だけが静寂を満たした。
「俺はただ、兄貴のために、奈々泉のために、長岡華穂を罰する役割を果たしていただけだ」
敦人の声は冷酷だった。しかし、その一瞬の間は、私の混乱した頭の中に、小さな棘のように引っかかっていた。 私の心臓が砕け散った。指先が痺れ、握っていた傘が音を立てて地面に落ちた。雨が私の髪を打ち、化粧が滲む。それでも私は、その場から動けなかった——まるで、彼らの言葉が私の足を地面に縫い付けてしまったかのように。
この三年間の全てが、偽りだったと。私が愛し、信じていた光男は、本当は敦人だったと。
「奈々泉が言っていたからな。華穂が悪女で、奈々泉をいじめたって。俺たちは奈々泉を信じた。だから、華穂に報復すると決めた」
光男の声が、残酷に響いた。
「俺たちの可愛い奈々泉に手を出したんだ。許すわけにはいかない」
敦人もそう言った。奈々泉。あの月岡奈々泉。私が一方的にいじめられていた相手。彼女が私を悪女に仕立て上げた。
「結婚式の当日、奈々泉が真実を暴露するんだ。長岡華穂がどんな悪女だったか。そして、俺たちが三年もかけて彼女を騙していた事実もな」
光男の声が、愉悦に満ちていた。
「きっと、彼女は絶望の淵に突き落とされるだろう。その顔を見るのが楽しみだ」
敦人が笑った。他の男たちの笑い声が、ラウンジいっぱいに響き渡った。
私の全身が凍りついた。ドアの隙間から、私は震える手で中を覗いた。そこには、二人の男がいた。一人は三尾光男。もう一人は、彼と瓜二つの男。彼の左手首には、私が贈った腕時計が光っていた。光男は、左手首に傷がある。昔、事故でできた傷だ。でも、あの男の手首には傷がない。
私は、息を殺して観察した。光男と瓜二つの男。そう、あれは敦人だ。私が愛していたのは、光男のそっくりな弟、敦人だったのだ。その敦人が、今、光男と奈々泉と一緒に、私の破滅を祝って笑っていた。
私の頭の中は、今聞いた言葉でいっぱいだった。三年間、私を騙していたこと。奈々泉がいじめの被害者で、私が加害者だという嘘。結婚式での復讐計画。そして、私の暗闇恐怖症も、高所恐怖症も、全て彼らの計画の一部だったこと。
膝がガクガクと震え、胃の奥から何かが込み上げてきた。吐き気が止まらない。私は口元を抑え、ラウンジから走り去った。雨の中を、私はただ、ひたすら走った。どこへ向かえばいいのかも分からなかった。
私が信じていた愛は、全てが偽りだった。光男の優しさ、敦人の気遣い、全てが奈々泉の嘘に基づいた復讐計画の一部だった。私がどれほど彼らを愛していたか、どれほど彼らの存在が私の心の支えになっていたか。それは、彼らが私を最も深く傷つけるための、周到な罠だった。
過去のいじめの記憶が蘇った。奈々泉からの陰湿な嫌がらせ。彼女はいつも、私を巧妙にはめ込み、まるで私が悪者であるかのように仕立て上げた。私はそのせいで暗闇恐怖症を抱えるようになった。彼女は私を古い倉庫に閉じ込め、電気を消した。別の日には、屋上に私を閉じ込め、扉の前で笑いながら「ここから飛び降りたら楽になるんじゃない」と言った。それ以来、高い場所もまた、私にとっては計り知れない恐怖の空間になった。
光男、実は敦人が、その心の闇を理解し、私を救ってくれたと信じていた。彼の存在が、私を暗闇から救い出してくれた光だった。しかし、それも全て、彼らの残酷な計画の一部だったのだ。
私が愛しいと思っていた瞬間、彼らが私に語りかけた優しい言葉、触れた温かい手。それらは全て、私を深く堕とすための演技だったのか。私の心は、絶望の淵に突き落とされた。
「光男の海外出張が多いのは、敦人が身代わりになるためだったんだな」
私は、過去の出来事を思い返した。光男が海外出張で不在の期間、敦人が光男になりすまして私と会っていたのだ。彼らは、完璧なタイミングで入れ替わり、私に全く疑念を抱かせなかった。彼らは私のスケジュールを把握し、私が不審に思わないよう細心の注意を払っていた。
「俺の海外出張、寂しいか」
光男、つまり敦人はいつもそう尋ねた。
「寂しいけど、あなたのためなら」
私はそう答えていた。彼らは、私が彼らの嘘に気づかないことを嘲笑っていた。
「華穂は本当に馬鹿な女だ。俺たちの計画に、まんまと乗っていたんだからな」
敦人の声が、私の耳元で囁くように聞こえた。その声は、私の心を深く切り裂いた。
「もうすぐ結婚式だ。その日を最高の復讐の日とする」
光男の声が、再び脳裏に響いた。彼らは私を、結婚式という人生で最も幸せな瞬間に、奈々泉の嘘を信じた彼らの手によって、地獄に突き落とすつもりだった。
私が彼に妊娠を伝えようとしていたこの夜に、この真実を知るなんて。私は、彼らの計画の対象であり、彼らの復讐の道具だったのだ。彼らの言葉が、私の心を完膚なきまでに破壊した。私は、彼らの顔が、奈々泉の顔が、憎くてたまらなかった。
ラウンジのドアの隙間から、私は再び彼らの会話を聞いた。
「華穂のあの顔、最高だったな。俺が奈々泉にプロポーズするんだ」
光男が言った。
「もちろんだろ、兄貴。奈々泉は俺たちのものだ。お前は奈々泉にプロポーズして、奈々泉を喜ばせてくれ」
敦人が言った。
奈々泉は、私を陥れる計画を立てていた双子を操り、光男にプロポーズさせ、私から全てを奪おうとしていた。
私は、雨の中、ただ立ち尽くしていた。
私の人生は、もう終わった。
私は、もう誰を信じればいいのか、分からなかった。
全てが、嘘と欺瞞に満ちた世界だった。
私は、自分の妊娠を彼らに報告しようと、この場所に来た。しかし、彼らは私を裏切り、私の人生を破壊しようとしていた。私は、この子を産むべきか、分からなくなった。この子を産んだら、彼らの血を引く子を、私は愛せるのだろうか。私は、この子を、彼らの復讐の道具にすべきではない。
私の心は、完全に死んだ。
私は、彼らの計画を、彼らが私に与えようとしている絶望を、決して許さない。私は、彼らに、彼らが想像もしないほどの報復をするだろう。だが、今はまだその時ではない。彼らが私を破滅させようとしているその舞台を、今度は私が彼らを破滅させる舞台に変えてやる。そのために、私はまだ気づいていないふりを続ける。
これが、私の新しい人生の始まりだ。
私は、雨の中、冷たい決意を胸に、ただ歩き出した。ポケットの中で、スマートフォンの録音アプリが、赤いランプを静かに点滅させていた。