真っ白なウェディングドレスに身を包み、福田菜々子はベッドに横たわっていた。虚ろな瞳で、ただぼんやりと天井の一点を見つめていた。
(結婚初夜だというのに、隣にいるはずの夫の姿はなく、たった1人で孤独な夜を過ごしていた)
(母親の命を盾に取られ、父親から西山家の私生児との結婚を強いられたのだ)
その事実を思い出すたび、菜々子の瞳に怒りと失望の色がよぎった。
「やだぁ、もっと優しくしてぇ……」 その時、ドアの外から女の甘ったるい嬌声が聞こえてきた。
続いて、男の低い声がする。「少し我慢しろよ。すぐ気持ちよくなるから……」
菜々子はベッドから跳ね起き、寝室のドアをきつく睨みつけた。
壁の向こうは主寝室。新婚の夫が、そこで別の女といちゃついているのだ。
菜々子はベッドを降りてグラスを手に取ると、そのまま主寝室へと向かった。
いくら政略結婚とはいえ、こんな下劣な真似を黙って見過ごすわけにはいかない。
ドアの前に立つと、一切の躊躇なくそれを力強く押し開けた。
ベッドの端に腰掛けていたのは、彫りの深い顔立ちをした1人の男だった。白シャツのボタンは外れ、引き締まった胸筋が覗いている。その姿は退廃的でありながら、どうしようもなく放蕩な色気を漂わせていた。
男の傍らには派手な女がぴったりと寄り添い、示威するように菜々子を見つめていた。
西山大輔は菜々子に視線を落とすと、口角を上げて軽薄に笑った。「何の用だ? それとも、俺たちと一緒に楽しむか?」
男が言い終わるや否や、菜々子は手にしていたグラスの水をその顔面にぶちまけた。「最低!」
水滴が整った顔を伝い、シャツを濡らした。激昂した男は眉間に深い皺を寄せ、隣の女に言い放った。「お前は先に帰れ」
女は名残惜しそうに甘えた声を出す。「大輔様……」
「失せろ!」男の怒号に怯え、女は逃げるように部屋から姿を消した。
菜々子はようやく全てを悟った。(なるほど、福田康之が愛娘を西山家に嫁がせたがらなかったわけだ。大輔は、噂通りのケダモノだったのだ!)
菜々子は自嘲気味に笑った。父である康之は母を捨てた後、菜々子まで海外へ放り出し、自力で生き延びろと見捨てたのだ。 だが幸いにも、彼女はただ黙ってやられるようなタマではない。1人で生きてきた十数年の間に、生き抜くための術は嫌というほど身につけてきた。
福田グループはここ数年、深刻な赤字に陥っている。康之に会社を立て直す才覚などあるはずもなく、自身の華やかな生活を維持するためだけに、菜々子を呼び戻して地獄へ突き落としたのだ。
行方不明になった母を探すためでなければ、とっくに福田グループなど見捨てていた。父の言いなりになることなど、絶対にありえなかったのに!
菜々子が背を向けて部屋を出ようとしたその時、手首を大輔に強く掴まれ、そのままぐいと抱き寄せられた。
「離して。 何を何をするつもり?」菜々子がもがいてみても、彼の腕はびくともしない。
「へえ、俺の新妻は随分と気性が激しいらしいな。俺の邪魔をしておいて、ただで逃げられるとでも思ったか?」 男の熱い吐息が、菜々子の耳元を掠めた。
不意にベッドが沈み、大きな手が身体に這い上がってくるのを感じた。
男から漂う酒の匂いに、菜々子は吐き気を催した。「触らないで!」
大輔の視線が、菜々子を捕らえて離さない。怒るどころか、面白そうに彼女を見つめていた。「何を嫌がってるんだ? これがお前の望みだったんだろう?」
菜々子は顔を上げ、彼を真っ直ぐに見据えた。「勘違いしないで。私はただ、安眠を妨害されるのが我慢ならないだけよ」
その反抗的な態度が、かえって大輔の興味を惹いたようだ。彼は菜々子の顎をくいと持ち上げ、薄く笑う。「俺に触るなだと? お前の両親が俺にお前を『売った』ことを知らないわけじゃあるまい。俺が抱くと言ったら、お前は大人しく抱かれるしかねえんだよ」
大輔はそれ以上言葉を交わすことなく、菜々子の上にのしかかった。彼女の細い首筋の、白く滑らかな肌を見つめ、そのまま唇を落とそうとする。
菜々子は背筋を凍らせた。(この男、やはり噂通りだ)
(女好きというだけでなく、変態的な獣欲まで持ち合わせている!)
「待って!」菜々子は彼の手を振り払い、必死に平静を装って言った。「西山大輔、その前にあなたと取引がしたいの」