「鈴木海來愛、刑期満了です」
「自由の身に戻れて、おめでとう。今度こそ、まともな人間になってほしいものだ」
海來愛は、何も聞こえていないかのように、淡々とバックパックを片付けていた。
刑務官が不満げに言った。「鈴木海來愛、話してるんだ。聞こえてるのか?」
海來愛は振り返り、ちらりと一瞥をくれた。「ああ」
その眼差しに、刑務官は思わず息を呑み、一歩後ずさった。
もう五年も経つというのに、刑務官は、海來愛が纏う陰鬱な気配に、未だに慣れることができなかった。
五年前、海來愛が収監された初日、彼女は一人の受刑者と殴り合いの喧嘩を始めた。
見ず知らずの相手だったにもかかわらず、海來愛の拳は相手の血を滲ませ、死ぬほど打ちのめした。
刑務官が間一髪で二人を引き離し、大事には至らなかったが、 それ以来、受刑者だけでなく、刑務官でさえも、海來愛を密かに恐れるようになった。
幸いにも、刑期は満了した。ようやく、この世の鬼のような女を送り出せる。
海來愛は振り返ることなく、重い鉄の門をくぐり抜けた。
まともな人間になれ、だと?
彼女は心の中で冷笑した。
まともになるべきなのは、いつだって自分のほうではない。
前世、松下家という名家が突然彼女のもとにやってきて、彼女こそ、長年行方不明だった松下家の本物の令嬢だと告げた。
海來愛は、ようやく家族の愛情を得られると思った。ところが、実の親は手のひらを返すように彼女を刑務所へ送った。偽の令嬢・松下歩優の身代わりとして。
五年もの間、松下家は彼女を顧みず、刑務所の中で見殺し同然に放置した。
歩優はさらに、海來愛と最も親しかった受刑者を買収し、出所前日の食事に猛毒を盛らせた。海來愛は、暗く湿った独房の隅で苦しみながら息絶えた。
死の間際、彼女は刑務官たちの世間話を聞いた。 「今日は松下家がたくさんの人を招いて、一人娘の松下歩優の誕生日パーティーを開くそうよ……」
なんて滑稽なことか。
一人娘、松下歩優。
ならば、自分は一体、何だったのか。
海來愛は、悔しさを抱えたまま目を閉じた。
再び目を開けると、刑務所に収監された初日に戻っていた。
前世で自分に毒を盛った受刑者が、微笑みながら手を差し伸べてくる。 「友達になりましょう」
海來愛はためらうことなく、その顔面に拳を叩き込んだ。
今度こそ、自分に借りがある者たちに、百倍にして償わせる!
「お嬢様、出所おめでとうございます」
聞き慣れない声が、海來愛の思考を引き戻した。
道端に黒いメルセデスが停まっており、その傍らには五十歳前後と見られる黒いスーツ姿の男が立っていた。松下家の執事、荻野厳だ。
厳はわずかに頭を下げ、恭しい態度を取っていたが、その眼差しには軽蔑の色が浮かんでいた。
「昨日は歩優お嬢様の誕生日パーティーで、旦那様も奥様もお疲れでございました。つきましては、奥様のご指示で、私がお迎えに参りました」
厳は後部座席のドアを開ける。 「西ヶ丘別荘はすでに整えてございます。 静かな場所でございますので、しばらくご療養なさるのに最適かと」
西ヶ丘別荘。
人里離れ、広々としているが、交通の便は極めて悪い。
「療養」というより、彼女をそこに軟禁しておくつもりなのだろう。
海來愛は、何の感情も見せずに言った。「結構です」
厳は眉をひそめた。「奥様のご指示でございますが、何かご不満でもございますか?」
海來愛は冷笑した。「松下夫人に伝えてちょうだい。私を生んだことと、娘の身代わりに私が刑務所に入ったこと。これで帳消しよ。今日から、私と松下家は無関係だ」
「松下家に、もう上の令嬢も下の令嬢もいない。いるのは一人娘、松下歩優だけだ」
厳の顔色が変わる。 「そのお言葉……」
海來愛は彼の言葉を遮った。 「ついでに、松下歩優にも伝えておいて」
彼女は一拍置き、一言一言区切って言い放った。 「彼女が私に負った借りは、一つ残らず清算させてもらう」
言い終えると、海來愛は厳の驚愕した表情には目もくれなかった。
彼女は、みすぼらしく見えるバックパックを背負ったまま、まっすぐ道端のもう一台の車へと向かった。
それは純黒のロールスロイス・ファントムだった。
車体は陰鬱な空の下、冷たい光沢を放っている。
その豪華で高価な外観は、周囲の環境とはまるで別の次元に存在しているかのようだ。
運転席のドアが開く。
仕立ての良い高級スーツに白い手袋をはめた運転手が車を降り、海來愛に向かって恭しく一礼した。
「鈴木さん」 運転手は海來愛のためにドアを開ける。 「どうぞ」
海來愛は、すっと身を滑り込ませた。
ごく普通のTシャツと長ズボンという姿なのに、彼女からは、誰の目をも奪う気品が漂っていた。
執事は完全に呆然としていた。
海來愛は、貧しい田舎で育ったみすぼらしい娘ではなかったのか?
なぜ、五年も刑務所に入っていた彼女が、ロールスロイスに乗っている?
その気品は、松下家が二十年以上かけて育て上げた歩優よりも、はるかに高貴ではないか。
ロールスロイスは滑らかに発進し、刑務所の門前を離れていった。
車内は静かで、本革のシートからほのかな香りが漂う。
海來愛は気を緩め、ゆっくりとシートの背もたれに身を預けた。
生まれ変わってからの五年、彼女は常に気を張り詰め、少しずつ元手を蓄えてきた。
前世の金融市場の動向は、覚えている。細部は曖昧でも、いくつかの大きな変動ははっきりと記憶に残っていた。
前世の情報の差を利用し、彼女は独自の人脈を築き上げた。
さらに、ある代理取引システムで短期売買を繰り返し、五年でわずかな元手から一億円もの純利益を叩き出した。
これらは、彼女の復讐への第一歩に過ぎない。