五年前、私は軽井沢の雪山で、婚約者の命を救った。その時の滑落事故で、私の視界には一生消えない障害が残った。視界の端が揺らめき、霞んで見えるこの症状は、自分の完璧な視力と引き換えに彼を選んだあの日のことを、絶えず私に思い出させる。
彼がその代償に払ってくれたのは、私への裏切りだった。親友の愛理が「寒いのは嫌」と文句を言ったからという、ただそれだけの理由で、私たちの思い出の場所である軽井沢での結婚式を、独断で沖縄に変更したのだ。私の犠牲を「お涙頂戴の安っぽい感傷」と切り捨てる彼の声を、私は聞いてしまった。そして彼が、私のウェディングドレスの値段にケチをつけた一方で、愛理には五百万円もするドレスを買い与える瞬間も。
結婚式当日、彼は祭壇の前で待つ私を置き去りにした。タイミングよく「パニック発作」を起こした愛理のもとへ駆けつけるために。彼は私が許すと信じきっていた。いつだって、そうだったから。
私の犠牲は、彼にとって愛の贈り物なんかじゃなかった。私を永遠に服従させるための、絶対的な契約書だったのだ。
だから、誰もいない沖縄の式場からようやく彼が電話をかけてきた時、私は彼に教会の鐘の音と、雪山を吹き抜ける風の音をたっぷりと聞かせてから、こう言った。
「これから、私の結婚式が始まるの」
「でも、相手はあなたじゃない」
第1章
霧島 怜奈 POV:
親友の愛理が「軽井沢は寒すぎる」と言ったから。たったそれだけの理由で、私の婚約者は、私たちにとって地球上で何よりも大切な場所で挙げるはずだった結婚式の会場を、沖縄に変えてしまった。
私は、櫂の勤める外資系ファンドのロビーで、大きなモンステラの鉢植えの陰に隠れて立ち尽くしていた。彼の言葉は、まるでハンマーで殴られたかのような衝撃で私を打ちのめした。肺から空気がごっそりとなくなり、手に握りしめていた軽井沢のチャペルの、緻密に描き込まれた設計図が、ただの紙くずの束に思えた。
この五年間、軽井沢は私たちの聖域だった。単なる場所じゃない。それは、私たちの愛の証そのものだった。ロッククライミング中に彼が滑落し、切れかけのロープ一本で宙吊りになっていた雪まみれの崖。めちゃくちゃになりながらも必死で彼を助けようとしたあの場所で、私は転落し、慢性的な神経性の視覚障害を負った。視界の端が時折きらめき、ぼやける世界。彼の命と、私の完璧な視力を引き換えた日の、永遠の記憶。
その全てを、彼は沖縄と引き換えにした。愛理のために。
会議室のガラス壁の向こうに、彼が見える。椅子にふてぶてしくもたれかかり、絵に描いたような傲慢さで座っている。彼の隣でテーブルの端に腰掛けているのは、友人で同僚の翔太さん。櫂と同じ、特権階級の世界の住人だ。
「お前、正気かよ?」翔太さんの声が、かろうじて聞き取れるくらいの低い声で響いた。「怜奈さんにまだ言ってないんだろ?」
櫂はスマホの画面から目を離さずに、億劫そうに手を振った。「そのうち言うよ。彼女なら、分かってくれるさ」
「分かってくれる? 櫂、彼女、ファイル持ってるんだぞ。俺たちの会社の四半期報告書より分厚いファイルを。一年もかけて軽井沢の結婚式を計画してきたんだ。あれはもう…なんていうか…彼女の執念みたいなもんだろ」
「たかが結婚式だろ、翔太。ロケットの打ち上げじゃないんだから」櫂はため息をついた。その声に含まれた苛立ちは、まるで無数の針で心を刺されるような痛みとなって私に突き刺さった。「あの山がどうとか、感傷に浸ってるだけのクソみたいな話はもう聞き飽きた。それに、沖縄の方がいい。パーティーには最適だ」
「愛理ちゃんのパーティーだろ」翔太さんはニヤニヤしながら訂正した。「高地だと息苦しいって文句言ってたらしいじゃん」
「彼女は寒くなると喘息の発作が出るんだ」櫂の声のトーンが変わった。私には決して向けられることのない、甘く、心配に満ちた響き。「暖かい空気が必要なんだよ」
「へえ。『喘息』ね」翔太さんは指で引用符を作った。「クロアチアでヨット遊びした時は、ピンピンしてたのにな?」
「あれとは違う」
「愛理ちゃん絡みだと、いつだって『違う』よな」翔太さんは面白そうに言った。「で、マジで全部変えちまうのか? 彼女のために?」
「彼女のためじゃない」櫂は吐き捨てるように言った。ようやくスマホから顔を上げ、顎を強張らせている。「沖縄の方が楽しいからだ。雰囲気もいい。怜奈なら理解する」
彼は、絶対的な確信を持ってそう言った。怜奈なら理解する。それが、私たちの関係のすべてだった。信頼でき、物分かりが良く、与えるばかりで何も求めない女、霧島怜奈。彼の命を救い、その傷跡を背負い続ける女。彼が何不自由なく人生を謳歌できるように。
「彼女は俺の婚約者だ。俺を愛してる」櫂は続けた。自己満足に満ちた笑みが顔に戻る。「俺がいればどこだって幸せなんだよ。それが俺たちの『契約』だ。あの山で、彼女が証明してくれた」
彼の言葉の冷酷さに、息が止まった。私の犠牲は、彼にとって愛の贈り物なんかじゃなかった。私を永遠に服従させるための、絶対的な契約書だったのだ。
その時、電話の着信音が空気を切り裂いた。櫂の顔がぱっと輝き、彼はスピーカーモードで電話に出た。
「櫂、ダーリン!」愛理の、砂糖菓子のように甘ったるい声が部屋に響き渡った。「手に入った?」
翔太さんが、芝居がかった興味深そうな顔で身を乗り出した。
「もちろん、手に入れたよ」櫂の声は、ここ何年も私には向けられたことのない、低く、親密な響きを帯びていた。「君を待ってる」
「うそ、最高! キスしちゃう!」彼女は甲高い声を上げた。「ヴァレンティノの? この間見た、あの白いの?」
私の血が、すっと冷たくなった。あの白いの。
「その通り」櫂は請け合った。「パリから取り寄せさせた」
「五百万円よ、櫂! 甘やかしすぎなんだから」彼女はうっとりとした声で言った。「このお礼は、ちゃんとするから。約束するわ」
「分かってるよ」彼は囁いた。
翔太さんが、ひゅーっと口笛を吹いた。「ドレスに五百万? 櫂、お前が結婚すんのは、愛理ちゃんなのか、怜奈さんなのか、どっちだよ?」
櫂は笑った。そこには一片のユーモアも感じられなかった。「愛理は最高の姿でいなくちゃならない。彼女がショーの主役なんだからな。知ってるだろ、彼女は繊細なんだ」
繊細。その言葉が、残酷な冗談のように宙に浮いた。私は自分のウェディングドレスのことを思った。小さな、でも洗練されたブティックで見つけた、シンプルなAラインのシルクのドレス。あの天文学的な値段の、ほんの一部の価格だった。胸をときめかせながら、櫂に写真を送った。
彼からの返信は、たった一言。「いいんじゃない」
支払いの時、彼はクレジットカードをカウンターに放り投げ、まるで三十万円の支払いがとてつもなく面倒なことであるかのように、うんざりしたため息をついた。彼はその間ずっとスマホをいじり、私を急かし、スカッシュの試合に遅れると文句を言っていた。
愛理には五百万円。私には三十万円。
計算は単純だった。そして、あまりにも破壊的だった。
ロビーの観葉植物の葉陰に隠れて立っていたその瞬間、一条櫂と共に築き上げてきた私の五年間の人生のすべてが、ガラガラと音を立てて瓦礫の山と化した。
視界の揺らめきが激しくなる。世界の輪郭がぼやけていくのは、神経の損傷のせいではなかった。ついに流れ落ち始めた、熱く、声にならない涙のせいだった。彼はただ心変わりしただけじゃない。彼は、私の愛をレンガにし、私の犠牲をモルタルにして、彼女との新しい人生を築き上げていたのだ。
そして私は、その土台として、ただ地中に埋められ、忘れ去られるだけだった。