「奈々, お願いがあるの. 私を死んだことにしてほしい」
私の声は乾ききっていた.
親友の奈々は, 持っていたグラスを落としそうになった.
貧しい孤児院育ちの私が, 財閥の御曹司・松谷晴司に見初められ, 誰もが羨む「現代のシンデレラ」となったはずだった.
夫は私を「聖女」と崇め, 神聖な私を汚したくないと, 夜の営みさえ拒んだ.
私はそれを純愛だと信じていた.
しかし, 妊娠した私に届いたのは, 夫と幼馴染・朱莉の情事, そして二人の間に生まれた双子の動画だった.
ショックで流産し, 血まみれで倒れる私を見て, 夫は安堵の息を漏らした.
「よかった. 佳実の体は弱いから心配だったんだ. 子供なら朱莉が産んでくれたから, 君は清らかなままでいてくれ」
私の愛は, その瞬間に殺意へと変わった.
彼は私を「聖女」として棚に上げ, 性欲と繁殖の道具として朱莉を使っていただけだったのだ.
だから私は, 彼への復讐を決めた.
私は飛行機事故を装い, この世から消えることにした.
彼が私の死を知り, 絶望の中で遺品整理をする時, そこに置かれた「流産の診断書」と「不貞の証拠」を見つけるように仕組んで.
さあ, 地獄のショーの始まりよ.
第1章
佳実 POV:
「奈々, お願いがあるの. 死んだことにしてほしい」
私の声は, ひどく乾いていた. 親友の奈々は, グラスを落としそうになった. 彼女の顔色は, 蝋のように青ざめている.
「佳実, 冗談でしょう? 何を言っているの? 」
冗談なんかじゃない. これは, 私の人生を終わらせるための, 唯一の方法だった.
松谷晴司と結婚して三年. 世間は私たちを「現代のシンデレラカップル」と呼んだ. 貧しい孤児院育ちの私が, 財閥の御曹司に見初められ, 幸せな未来を手に入れた. まるで物語のような展開に, 誰もが心を奪われた.
晴司は, 私を溺愛していた.
「佳実, 君は僕の聖女だ. この世の何よりも清らかで, 美しい」
彼はいつもそう言って, 私を崇拝するように見つめた. 私のために, 名家との縁すら切った. 家族から勘当同然の扱いを受けても, 彼は私を選んだ. 世間は彼の「純愛」を称賛した.
彼は私の嗅覚の才能を見抜き, 私だけの研究所を建ててくれた. 最高の設備, 世界中の珍しい香料. 私が望むものは何でも手に入った. 彼の愛は, まるで太陽のように私を照らし, 私の人生に彩りを与えてくれた. 私は心から彼を愛し, 彼こそが私の救い主だと信じて疑わなかった.
私たちが初めて出会ったあの日, 晴司は私に狂ったように執着した.
「君の香りは, 僕の魂を呼び覚ます. 二度と手放さない」
彼はそう言って, 私の手を握りしめた. その日から, 私の世界は彼を中心に回り始めた. 彼は私の才能を世界に広め, 私の調香した香水は瞬く間に世界的ブランドになった.
彼は私を常に一番に考え, どんな困難からも守ってくれた. 家族からの反対, 名家からの嫌がらせ, 全て彼が盾となって私を守り抜いた.
「佳実, 僕が君の唯一だ. 君も僕の唯一でいてくれ」
彼の言葉は, 私にとって絶対だった.
私は彼の愛に深く感謝し, 彼のために何でもしたいと願った. 彼が私に求めたのは「清らかさ」だった.
「君は汚れてはいけない. 僕の聖女でいてほしい」
その言葉を, 私は忠実に守った. 彼が忙しい時, ストレスを抱えている時, 私は彼の隣で静かに寄り添い, 癒やしを与えた. 肉体的な関係は, 彼が「神聖な君を汚したくない」と言って, あまり求められなかった. 私はそれを彼の深い愛情の表れだと思っていた.
結婚三年目, 私は妊娠した. 晴司は狂喜乱舞し, この上ない幸福だと言った. 私もまた, 彼の子供を宿したことに喜びを感じていた. しかし, その喜びは, ある日突然, 打ち砕かれた.
スマートフォンに届いた, 匿名のメッセージ. 再生された動画には, 私の夫, 松谷晴司が映っていた. 彼は幼馴染の豊川朱莉と情事を繰り広げ, その傍らには, 私ではない子供たちの姿があった. 双子. まぎれもない, 晴司の隠し子だった.
私の心臓は, 氷のナイフで切り裂かれたように感じた. 信じられない, 信じたくない. だが, 動画はあまりにも鮮明で, 現実を突きつけてきた.
奈々は震える手で私の手を握った.
「佳実, 嘘でしょう? まさか…」
私はただ, 空虚な目で奈々を見つめ返した. この世の光が, そのまま闇に変わってしまった瞬間だった. 私の愛は, 憎悪へと反転した.
その日, 身体に激痛が走り, 私はその場で倒れ込んだ. 流産だった. 意識が朦朧とする中, 聞こえてきたのは晴司の声.
「佳実の身体は弱いから, 子供は無理だと思っていたんだ. でも, 朱莉が跡継ぎを産んでくれたから, これで安心だ」
彼の声は, 安堵に満ちていた. 私の身体が弱いこと, 子供が望めないことを嘆くどころか, 朱莉が生んだことで安心している. 私の心臓は, 完全に機能を停止した.
晴司が私を「聖女」として崇め, 性的な欲望やストレスのはけ口として朱莉を利用していたことを, 私は今, 知った. 彼は私への愛は本物だと信じていたが, それは自己愛の延長に過ぎなかったのだ. 私の唯一の光は, 最大の闇だった.