東京の雨は何も洗い流してはくれない。ただ汚れをぬめらせるだけだ。
藤原聖絵はイエローキャブを降りた。ヒールはすぐに灰色のぬかるみにはまり、安物の革靴から水が染み込み、靴下を濡らし、肌の感覚を奪っていく。聖絵は身じろぎもしなかった。寒さには慣れていた。
ベルベットのケーキ箱を、盾のように胸に抱きしめる。特注の、レッドベルベットケーキ。純一の好物だ。少なくとも、夫になる前の彼が好きだったもの。
聖絵は、麻布にある会員制プライベートクラブ『オブシディアン』の、威圧的な黒いファサードを見上げた。その建物は、彼女のような人間を締め出すために設計された要塞のようだった。
コートの前を合わせた。ここ2年で増えた体重を隠すために買った、ワンサイズ大きすぎるコートだ。代謝異常のせいで、体はたるんだ肉とむくみの牢獄と化していた。かつてはただ地味なだけだった顔も、今ではむくみ、顎のラインに沿ってできたしつこい発疹のせいで、ドラッグストアのファンデーションでは到底隠しきれないほど無残なありさまだった。
「お名前は?」ドアマンは彼女の顔を見ず、その靴に視線を落とした。
「佐伯です」と聖絵は言った。声がわずかに震えた。その名を口にするときはいつもそうだ。まるで盗んでいるかのような気分になる。
ドアマンは一瞬動きを止め、リストに目をやり、それから彼女を見た。唇の端が歪む。それは些細な動きだったが、彼女が記録することにかけては専門家となった、マイクロアグレッションだった。彼は彼女が誰なのか知っていた。誰もが知っていた。藤原家の失敗作。一族の恥。
「佐伯様はVIPスイートにおられます」ドアマンは平坦な口調で言った。「邪魔をしないようにと申しつかっております」
「今日は結婚記念日なんです」聖絵が言う。その言葉は湿った空気の中に、哀れでちっぽけに響いた。「届け物が…ありますので」
彼女は箱を少し持ち上げた。
ドアマンはため息をつき、冷たい空気の中に白い息を吐き出した。そしてベルベットのロープを外した。だが、ドアを開けてはくれなかった。
聖絵は重いオーク材のドアを押し開けた。雨音は消え、代わりにジャズの低い響きと、年季の入った革製品や高級葉巻の香りが漂ってきた。薄暗い廊下を進む。濡れたコートから、豪華なペルシャ絨毯のランナーに水滴がしたたる。ポツリ、ポツリ、ポツリ。自分が場違いであることの証拠を残しながら。
廊下の突き当たりに着いた。VIPスイートのドアは、重厚なマホガニー製だった。ノックしようと手を上げたが、指の関節は木材から数センチのところで止まった。
笑い声。けたたましい、下品な男たちの笑い声。
「おいおい、純ちゃん」と声が響いた。純一の大学時代の友人、大空の声だ。「まさか今夜、あの化け物のところに帰るなんて言わないよな。まだ深夜0時にもなってないぜ」
聖絵は凍りついた。心臓が肋骨に叩きつけられ、痛みを伴う不規則なリズムを刻む。
「顔だけは出さないと」純一の声が騒音を切り裂いた。冷たく、突き放したような声。弁護士と話すときに使う声だ。「3回目の結婚記念日だ。契約では、信託基金からの支払いを有効に保つために、重要な日には夫婦の住居に物理的に存在しなければならないことになっている」
「金のためなら何でもするんだな」と大空が笑った。「見たぜ、あいつ。昔の聖絵を食っちまったみたいだな。それにあの肌…うつるのか?」
聖絵は吐き気を覚え、固く目を閉じた。
「見た目はどうでもいい」と純一は言った。その無関心な口調は、嘲笑よりもひどかった。「あいつは書類上の署名にすぎない。それ以上でもそれ以下でもない。この街で俺が尊敬する女はエレナだけだ。彼女は自分の立場をわきまえている。分不相応なものを要求したりしない」
「エレナに乾杯!」誰かが音頭を取った。グラスが触れ合う音がする。
聖絵はケーキの箱に目を落とした。指は白くなり、ボール紙がたわみ始めるほど強く握りしめていた。
この日のために3日間も計画を練った。ケーキ屋は敷居が高すぎて、自分で焼いたのだ。ささやかなことを覚えていると示せば、もしかしたら、ほんの少しでも、彼が嫌悪以外の目で見てくれるかもしれないと思った。
しかし、彼は彼女のことなど見ていなかった。彼にとって、彼女は妻ではなかった。人間ですらなかった。祖父の遺言書にある一項にすぎなかった。
鋭い、物理的な痛みが胸を切り裂いた。失恋なんかじゃない。失恋は詩的だ。これは、切断。麻酔なしで手足を切り落とされるような感覚だった。
彼女はかがみ込んだ。膝がポキリと鳴った。ドアの外の床に、そっとケーキの箱を置いた。
ノックはしなかった。
立ち上がった。ドアを最後にもう一度見た。泣かなかった。涙は胸の奥深くで、固く凍りついていた。
振り返る。動きはロボットのようだった。左足。右足。
廊下を引き返した。ドアマンが、唇に笑みを浮かべてこちらを見ていた。追い出されるのを期待していたのだ。ひと騒動あるだろうと。
聖絵はまばたきもせずに彼の横を通り過ぎた。重いドアを押し開け、再び雨の中へと足を踏み出した。
冷たい水が顔を打ち、羞恥心の熱と混じり合った。タクシーは拾わなかった。歩いた。足の感覚がなくなるまで歩いた。オブシディアン・クラブが遠くに黒い染みのように見えるまで歩き続けた。
ポケットから携帯電話を取り出した。指は震えていたが、頭は水晶のように澄み切っていた。
ある番号に電話をかけた。
「佐伯家法律顧問団です」と、疲れた声が応答した。
「聖絵です」と彼女は言った。今度は声が震えなかった。「書類にサインします」
「佐伯夫人?こんな時間に?本気でございますか?」疲れた声は驚いているようだったが、完全に衝撃を受けたわけではなさそうだった。「佐伯様がずいぶん前にご用意されておりました。明朝までには署名をいただくために手配できますが」
彼が何か言う前に、彼女は電話を切った。
ペントハウスに戻った。中は暗く、レモンポリッシュと空虚な匂いがした。純一がここで寝ることはめったにない。彼は都心に別のアパートを借りており、そこは彼女が訪れることを許されていなかった。
主寝室に入った。ベッドは整えられ、シーツはぱりっとしていて、誰も触れた形跡がなかった。壁の金庫へ歩み寄った。暗証番号を入力する――純一の誕生日。彼はそれほど自己陶酔的な男だった。
中には、結婚式の日に彼がくれたダイヤモンドのネックレスが入ったベルベットの箱があった。彼はそれを「写真撮影用の小道具」と呼んだ。それ以来、一度も身につけたことはなかった。
それを取り出し、ナイトスタンドに置いた。
左手の薬指にはまった金の指輪をひねった。きつかった。密かに服用していた薬のせいで指がむくんでいたのだ。効き目のない薬だった。ぐいっと引っ張った。皮膚が裂けた。指輪が外れると、一滴の血が金に付着した。
ネックレスの隣に指輪を置いた。
クローゼットへ向かった。使い古されたスーツケースを一つ取り出す。3年前に藤原邸から持ってきたものだ。
古い服を詰めた。安物のコットンシャツ。履き古したジーンズ。絹も、カシミアも、純一のアシスタントが公の場に出るために買い与えたブランド品も、すべて置いていった。
化粧台の鏡の前に立った。自分を見つめた。
青白い。むくんでいる。目は赤く縁どられている。左頬を走る傷跡は、赤く腫れ上がり、怒っているかのようだ。
「醜い」鏡の中の自分にささやいた。「弱い」
重い香水の瓶を手に取った――シャネルの5番。純一の母親からの贈り物で、聖絵が嫌っていたものだ。
ガシャン。
それを投げつけた。鏡が粉々に砕け散る。ガラスの破片が飛び散り、大理石のカウンターに降り注いだ。蜘蛛の巣状のひびが彼女の姿を歪め、その顔を無数のギザギザのかけらに分解した。
それでいい。
便箋を一枚つかみ、二行だけ書いた。
信託基金はあなたのもの。私の人生は私のもの。
メモの上に家の鍵を置いた。
スーツケースのジッパーを閉めた。軽かった。3年間の結婚生活で得たものは、この軽いスーツケースと重い心だけだった。
二台目の携帯電話を取り出した。使い捨ての携帯だ。3年間、靴下の引き出しの奥に隠し、充電し続けていた。
10年間一度もかけていない番号に電話した。
一度だけ呼び出し音が鳴った。
「もしもし?」年配の、英国訛りの声。
聖絵は目を閉じた。「ゴッドファーザー」とささやいた。「帰る準備ができました」
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