深夜。
片山美月は病院からの緊急の呼び出しを受けた。市中心部の五つ星ホテルで火災が発生したという。
救護に駆けつける際、彼女は夫の藤井達也がちょうどこのホテルで会議をしていることを思い出した!
美月は気が気じゃなく、消防隊員の制止を振り切って、無理やりホテルに飛び込もうとした。
「夫が中にいるんです、お願いだから探しに行かせて!」
「奥さん、火の手が強すぎます。中には入れませんよ」
行く手を阻まれた美月は、涙まみれの顔で炎に包まれたホテルを見つめ、達也が無事であるようにと狂おしいほどに祈った。
どれくらい経っただろうか、一人の男が消防隊員に守られながらホテルから出てきた。
見慣れたシルエットに、美月の瞳がパッと輝いた。
ーー達也だ!よかった、彼は無事だったんだ!
美月は駆け寄ろうとしたが、次の瞬間、その場に立ちすくんだ。
達也の腕の中には、バスローブ一枚の女が抱きかかえられていた。
今日は彼女の誕生日で、普段なかなか会えない二人は一緒に食事をする約束をしていたが、達也は急な会議が入ったと言っていたのだ。
まさか、別の女とホテルで浮気していたなんて。
この火事さえなければ、彼女はずっと騙されたままだっただろう。
美月の体は震えが止まらず、マスクの下の顔は一瞬にして血の気を失った。
彼女は立ち去りたかったが、達也はまっすぐ彼女の方へ歩いてきた。
彼の彫りの深い顔からは血の気が引き、額からは血が滲んでいた。明らかに彼の方が重傷なのに、彼の意識は腕の中の女にしか向いていない。
二人の視線が交差すると、達也が焦った様子で言った。「先生、彼女を診てくれ。無事かどうか……」
美月の心臓が、きゅっと締め付けられた。
マスクと防護メガネをつけているとはいえ、達也は彼女だと全く気づかなかったのだ。
「達……」美月が辛うじて口を開きかけたが、女のうめき声に遮られた。
「達也、すごく痛いよぉ、うぅっ〜」星野結花が涙をぽろぽろとこぼした。
達也は冷ややかな目を美月に向け、厳しく言い放った。「何を突っ立ってるんだ、早く手当てしろ。彼女がずっと痛がってるのが見えないのか?」
だが、医者として、美月は無理やり平静を装って言った。「救急車の中で傷の処置をします」
救急車に乗り込むと、美月は消毒液を手に結花の前に立ち、思わず目の前の女をじろじろと観察してしまった。
女は自分より少し若く見え、小柄で華奢な体つきをしていた。
その首元には、かなり高価そうな新作のジュエリーネックレスが輝いていた。
結花の顔をはっきりと見た瞬間、美月は内心でハッとした。
彼女は自分にそっくりだったのだ。特に目元や眉のあたりが。 ただ、結花はよりおしとやかなタイプで、男の庇護欲をそそるような雰囲気を漂わせていた。
この瞬間、美月はうすうす悟った。三年前、達也が彼女を一目見ただけで結婚を承諾した理由が。
何のことはない、自分は結花の身代わりに過ぎなかったのだ。
美月の持っていた消毒用綿棒が結花に触れた途端、彼女はすすり泣き始めた。「達也、痛いよぉ、私死んじゃうの?」
達也は顔を強張らせ、無事な方の手で結花を抱き寄せると、冷たく言い放った。「もう少し手加減してくれ」
美月の胸が、またチクッと痛んだ。
美月が口を開く前に、結花が達也の襟を掴み、いかにも無邪気な様子で言った。「達也、そんなにキツく言わないで。先生もわざと痛くしたわけじゃないと思うから」
達也の口調は甘やかすような響きに満ちていた。「お前は本当に優しいな。いつも他人のことを先に考えるんだから」
美月は、達也のそんな優しい姿を見つめた。
ひどく見知らぬものに感じた。
一緒にいた三年間、達也は常に厳格で冷たく、近寄りがたい存在だった。
だがこの女の前では、彼自らへりくだり、腫れ物に触るように大事に扱っている。
美月は機械的な動きで結花の傷を処置した。唇を強く噛みしめても、心の底から湧き上がる冷たい絶望感を抑えることはできなかった。
結花は美月を見て甘く微笑んだ。「ありがとうございます、先生。この人、私のことになるとすぐ熱くなっちゃうの。怒らないでね〜」
美月の顔は氷のように冷たかった。綿棒をゴミ箱に放り投げると、淡々と答えた。「構いません。慣れていますから」
彼女は続けて縫合セットを取り出し、達也の傷の処置に取りかかった。
達也は電話をかけた。「健吾、今日は妻の誕生日だ。ケーキを注文して家に届けておいてくれ」
「過去の購入履歴を見て、一番高いやつを選ぶんだぞ」
美月は目を見開いた。結婚後、彼女が誕生日に食べていたケーキはすべて、アシスタントが選んでいたものだったのか。
藤井達也、あなたに真心なんて少しでも残っているの?
彼女がふと気を取られた拍子に、うっかり綿棒で達也の傷口を突いてしまった。
達也は眉をひそめた。「お前、本当に医者か? どうして最初から心ここにあらずなんだ?」
そう言いながら、彼は顔を上げ、美月の胸元にあるネームプレートに目をやった。