刑務所の門を出ると、頭上から容赦なく太陽が照りつけていた。
五年に及ぶ地獄のような収監生活。藤田彩乃は、自分が生きてここを出られる日が来るとは夢にも思わなかった。
真昼の陽射しが容赦なく降り注ぎ、その眩しさに思わず目がくらむ。
身につけている安物のTシャツは、五年前に収監された日に着ていたものだ。今ではぶかぶかに伸びきり、痩せ細った体にだらりとまとわりついている。
彩乃は手にした身分証明書をぎゅっと握り締めた。それが、彼女のたった一つの所持品だった。
一週間前、刑務官が藤田家へ出所の連絡を入れていた。
たとえ藤田家がどれほど自分を憎んでいようとも、血のつながりだけは否定できない。せめて最後の尊厳くらいは守ってくれるのではないか――そんな卑屈な期待を、彼女は胸のどこかで抱いていた。
しかし、いつまで待っても迎えに来る人影はない。
彩乃の瞳に宿る冷たさは、さらに深まっていく。やはり、藤田家の人間は誰一人来ないのだろう。
……当然か。身代わりにされた人間を、誰が喜んで家へ迎え入れるというのだ。
彩乃が踵を返し、街へ向かって歩き出そうとした、その時だった。背後から、突如として獰猛なエンジン音が轟く。
炎のように鮮烈な赤いランボルギーニが、耳をつんざくブレーキ音を響かせながら、彼女の目の前へ乱暴に停車した。
ゆっくりと窓が下がり、かつては何度も夢に現れ、今ではその姿を見るだけで全身が凍りつく男の顔が現れる。
高崎恒一。
彼女の婚約者だった男だ。
サングラス越しに冷え切った横顔を向けたまま、彼は低い声で言った。「乗れ」
その一言に、彩乃の心臓が激しく脈打つ。
恒一……。彼が、自ら迎えに来てくれたというの?
この五年間、彼は一度たりとも面会に来ず、手紙の返事さえ寄こさなかった。だから彩乃は、彼は自分を心の底から憎んでいるのだと思っていた。
それでも今、彼がここへ来たということは――。もしかすると、自分の話を聞くつもりでいてくれるのだろうか。
震える手で車のドアを開けた彩乃は、かすれた声で尋ねた。「……香弥子ちゃんは、どうなったの?」
五年前、藤田家の養女・藤田詩織がスピード違反で、恒一が最も可愛がっていた姪・高崎香弥子をはねた。だが彼女はあっさりと態度を翻し、ようやく見つかったばかりの藤田家の実の娘・彩乃を身代わりに仕立て上げたのだ。
車は勢いよく加速し、その激しい慣性で彩乃の体はシートへ強く押しつけられた。
「よくもあの子の名前を口にできたものだ」恒一の声は氷の底から響いてくるように冷え切り、底知れない憎悪を帯びていた。「彩乃。五年も経って、まだ自分の犯した罪が分からないのか」
ダッシュボードのスピードメーターは、針がみるみる跳ね上がっていく。
彩乃は顔を真っ青にし、必死にアシストグリップをつかんだ。 「恒一、お願い……スピードを落として。聞いて、あの事故を起こしたのは本当に私じゃないの。詩織よ。彼女に騙されて、あの場所へ連れて行かれたの……」
「黙れ!」恒一は鋭く怒鳴り、振り返った。「詩織は香弥子を助けるために、命まで落としかけたんだ。それなのにお前はどうした? ひき逃げをして、香弥子の人生をめちゃくちゃにした。 あの子は今も集中治療室で、眠ったままなんだ。それをよくも詩織のせいになどできるな!」
「嘘じゃない!あの日は防犯カメラもなかったの。あの人たちがグルになって私を陥れたの!」彩乃は必死に無実を訴え、充血した瞳には涙が滲んでいた。
「陥れた? あの場にいた全員が自分の目で見ていた。それでもまだ言い逃れをするつもりか?」 恒一は冷笑を浮かべると、乱暴にハンドルを切った。車体は公道で大きく横滑りし、タイヤが悲鳴のような音を上げる。
彩乃の頭は勢いよく窓ガラスへ打ちつけられ、鈍い衝撃音が車内に響いた。
そんな彼女を見つめる恒一の瞳には、憐れみなど欠片も宿っていない。「彩乃。俺が今日ここへ迎えに来たのは、まだお前を想っているからだとでも思ったか? お前みたいな人殺しが救われる資格なんてない。そのことを、今日は骨の髄まで思い知らせてやる」
額の激しい痛みさえ忘れるほど、彩乃の胸には不吉な予感が膨れ上がっていった。「……どこへ連れて行くつもりなの?」
「今日は、俺と詩織の婚約式だ」
その一言一言は、毒を塗った鋼の釘のように彩乃の胸へ深く突き刺さる。
「海城市の名士たちの前で、詩織の足元にひざまずき、自分の罪を心から詫びてもらう。 素直に従うなら、情けをかけて命だけは助けてやってもいい」
彩乃は雷に打たれたように、全身の血の気が引いていくのを感じた。
五年間、身に覚えのない罪で服役し、人間らしい扱いすら受けずに生きてきた。それなのに、本当の犯人は彼女の立場を奪っただけでは飽き足らず、今度は彼女に残された最後の愛まで奪おうというのか。
「詩織と……婚約するの?」彩乃は信じられない思いで呟いた。
「他にどうしろっていうんだ?」恒一は顔を背け、道端のゴミでも見るような目をした。 「まさか、お前を許して、人殺しと結婚しろとでも言うのか。彩乃、この五年間は、お前が香弥子と高崎家に償うための時間だった。 そしてこれから先も、お前を楽に生かしてやるつもりはない」