数杯の酒を流し込んだだけで、七海の胃の奥が、焼けるように熱くなった。
全身にその熱が広がっていき、 意識までもが、どんどん朦朧としていく。
彼女は掌に爪を食い込ませながら、ふらつく足取りで必死に前へ走り続けた。
今日は、会社買収に伴う新社長就任の祝賀パーティーだった。ところが、何杯もお酒を注がれるうちに、まんまと薬を盛られてしまったのだ。
異変を察した七海は、必死の思いで会場を抜け出した。
けれど、薬の効果が回るにつれ、体の奥から込み上げる熱の波が、彼女を丸ごと呑み込もうとしていた。
ほどなくして、七海の必死の抵抗も限界を迎えた。
彼女は力が抜け、前へと倒れ込んだ。
だが、予想していた痛みは訪れなかった。
彼女の体を受け止めたのは、広くて、男の熱を帯びた胸だった。
その人物からは、ほのかな酒気に混じって、落ち着きのある清冽なウッディの香りが漂ってきた。七海はその胸に顔を埋めながら、この香りに、なぜか覚えがある、と思った。
「た、助けて……お願い……」
男が自分を引き剥がそうとする気配を感じて、彼女はますます本能的に、彼の首に腕を絡みつかせた。
七海の頭はすでに茹だるようで、まるで冷たい氷にすがりついているような心地だった。
彼女がすがりついた瞬間、男の身体がビクリと強張ったことに、七海は気づかなかった。
朦朧とした視界で、彼女はようやく相手の顔を捉えた。
男はすでにジャケットを脱ぎ、白いシャツの襟元が乱れていた。覗く胸元には、銀の細いチェーンがくぼみある鎖骨からすとんと落ちて、服の奥へと続いている。視線の先にかすかに浮かぶ、鍛え抜かれた胸筋が、妙に艶めかしかった。
そして、視線を上げた先にあった顔は——昔と変わらぬ、端正で冷たい美貌だった。ただ、あの頃の青さは消え、そこには紛れもない大人の男がいた。
深い双眸が、瞬きもせずに彼女を射抜いている。底の読めない暗い瞳は、まるで捕らえた獲物を品定めするかのようで、言い知れぬ危うさを滲ませていた。
小島隼人……
どうして彼が、こんなところに?
彼は今日の、主役じゃなかったの?
あの小島家の御曹司だ。帰国早々、彼女が勤める会社を丸ごと買収して話題になったばかりの。 買収が成功したんだから、そりゃ盛大に祝うに決まってる。
なのに、どうしてその主役が、わざわざ自分の祝宴を抜け出してきたりしたんだろう?
七海が何か考える間もなく、次の瞬間には視界がぐるんと回り——気づけば、彼の腕の中に横抱きにされていた。
ホテルの部屋、その柔らかなベッドの上に体が沈み込んだことで、七海の意識はようやく少し浮上した。
だが、間髪入れずに隼人が覆いかぶさってきた。大きく逞しい影が、息が止まるほどの圧で彼女を押さえつける。
生温かな吐息が、七海の頬を撫でる。その眼差しは鋭く尖り、掠れた低い声が落ちてきた。
「……俺が、誰だか分かっているのか」
七海は彼の顔をぼうっと見上げたまま、うわごとのように答えた。その声は、甘くとろけていた。
「あなたは、小島社長……小島、隼……」
言い終わるより早く、男の熱い口づけが降ってきた。獣のような激しさで、彼女の唇を塞ぎ、言葉ごと奪い去っていく。 節くれ立った長い指が、彼女の腰を逃がさないとばかりに掴み、獲物の逃げ道を完全に塞いでしまう。
だけど、七海にも最初から逃げるつもりはなかった。
どうせ誰かと過ごすなら、最高にイケメンで金持ちの完璧な男を選んだっていいじゃない?
それに、小島隼人みたいな雲の上の人間が、買収したばかりの子会社にいる、一介の秘書なんて気にするはずがない。——高校のクラスに山口七海という地味な同級生がいたことすら、彼は覚えていないように。
今夜限りのことだ。明日になれば、彼は帝都へ戻り、小島グループの跡継ぎとして、絶大な権力を握る小島家の御曹司に戻る。
そして彼女は、ただの秘書に戻り、この小さな会社に残り続ける。
二度と交わることはない。
一度だけでいい……自分を、許そう。
七海はそう、心に決めた。
そして、七海は勇気を振り絞ると、そっと首をもたげて、男の下唇に吸いつくようなキスをした。
その瞬間、隼人の大きな掌が彼女の腰をがっしりと掴み、容赦なく組み敷いた。
暗がりの中、秘め事はどこまでも深く、熱く、甘やかに広がっていった。
その後のことは、もう止められない奔流だった。七海は、それがいつ果てたのかさえ分からないまま、深い快楽のなかで意識を手放した……。