この三年間、私はアルファである玲央様の「運命の番(つがい)」だった。
彼がその名を口にすることは、ただの一度もなかったけれど。
彼の心には、一条薔薇(いちじょう ばら)という別の女性がいた。
私はただ、彼が正式に彼女を迎え入れるまでの、邪魔な仮初めの存在に過ぎなかった。
父が死の淵をさまよっていた夜、私は彼に懇願した。
約束してくれた、命を救う薬を届けてほしいと。
彼は、薔薇と一緒だった。
私たちの精神を繋ぐリンクの向こうから、彼が一方的にそれを断ち切る直前、彼女の笑い声が聞こえた。
「くだらないことで俺を煩わせるな」
彼は、そう唸った。
その後、彼の愛する女は病を偽り、父のそばにいた熟練の治癒師たちを一人残らず引き離した。
私の「運命の番」が、他の女とタキシードを選んでいる間に、父は息を引き取った。
私の父の命は、私の半身であるはずの男にとって「くだらないこと」だったのだ。
彼は盲目的な執着の果てに、殺人者の片棒を担いだ。
でも、彼は私が何をしたのか、まだ知らない。
数日前、彼が彼女からの電話に気を取られている隙に、私は分厚い書類の束に一枚の紙を滑り込ませた。
彼は中身も読まずにそれに署名し、手首を軽く動かすだけで、自らの魂を断ち切った。
彼が署名したのは、「離縁の儀」の誓約書だった。
第1章
白石 結菜(しらいし ゆな) POV:
センチュリーの窓ガラスを、雨粒が激しく叩きつけていた。
一粒一粒が、ガラスを殴りつける小さな拳のようだ。
車内を支配する沈黙は、それと同じくらい暴力的だった。
墓石のように重く、冷たい空気が私にのしかかる。
私は高級レザーシートの端に腰掛け、膝の上で両手を固く握りしめていた。
指の関節は白くなっていた。
「玲央(れお)様、お願いです」
私は囁いた。
私の声は細く、この息が詰まるような静寂の中では、あまりにもか細く儚いものだった。
「もう三年になります。一族の長老たちが…その、噂を始めています」
彼は私を見ようともしなかった。
その視線は嵐に打たれる前方の道に固定され、彫刻のように美しい顔は石でできているかのようだった。
彼の香り――新雪が降った後の冬の森のような、鋭い松と冷たい土の匂い――は、いつもなら私の魂に安らぎをもたらしてくれる。
でも今夜は、ただ肺が締め付けられるように苦しいだけだった。
「刻印の儀式は、ただの形式的なものです」
私は続けた。自分の声に含まれた必死さが憎かった。
これで、彼に懇願するのは九十九回目だった。私は、数えていた。
「あなたのアルファとしての地位を確固たるものにします。私たちの一族は、より強くなるはずです」
彼の顎に力がこもった。
「俺は既にアルファだ。俺の地位を固める必要などない」
その時、彼のスマートフォンが鳴った。
私たちの冷戦にはまったく似つかわしくない、柔らかくメロディアスな音だった。
彼が画面を一瞥すると、その花崗岩のような表情がふっと溶けた。
それはほんの些細な変化だったけれど、彼の微細な表情の一つ一つを三年間研究し続けてきた私にとっては、まるで雲間から太陽が差し込んだかのようだった。
「少し待ってくれ」
彼の声は低く、温かい囁きに変わっていた。
それは、私に向けられた言葉ではなかった。
彼は電話に出た。そして、変化は完璧なものとなった。
氷は消え去り、私たちが初めて会った日以来、一度も私に向けられたことのない温もりが彼を包んだ。
「薔薇(ばら)」
彼は、そう息を漏らした。
「満月の夜会の準備はできたかい?ちょうど君のことを考えていたところだ」
心臓を万力で締め付けられるような感覚がした。
薔薇。いつも、薔薇。
彼の幼馴染であり、月の女神が彼の魂に私の名を叫んだにもかかわらず、彼が自分の真の番だと信じている女性。
私は窓の外を眺め、雨と、こらえきれない涙でぼやけていく世界を見ていた。
彼は彼女と話し続け、その言葉は、私が手に入れるはずだった人生を紡ぎ出していく。
夜会、交わされる微笑み、そして、誰かにちゃんと見てもらえる人生。
彼がようやく電話を終えると、氷は以前よりも冷たく戻ってきた。
彼は一族の屋敷から何キロも離れた、人気のない道端で、甲高いブレーキ音を立てて車を止めた。
「降りろ」
彼は言った。
その言葉は平坦で、感情が一切こもっていなかった。
私は混乱して彼を見つめた。
「え?でも、土砂降りですよ…」
彼の目が閃き、低い唸り声が胸の奥で響いた。
アルファとしての彼の「命令」の力が、私に津波のように押し寄せるのを感じた。
それは物理的な力であり、私の意志に反して彼の命令に従わせようとする、目の奥と骨の芯に響く圧力だった。
私の体はこわばり、筋肉が彼の命令に従う準備を始めた。
「言ったはずだ」
彼は、その抗いがたい力を声に含ませて繰り返した。
「家に帰って、自分の立場をよく考えろ」
私の手は、ひとりでにドアハンドルへと動いた。
私の中の狼が、彼の支配力の前に萎縮し、小さく鳴いた。
これこそが一族の序列という呪いだ。
私自身の意志は、彼の命令の前では二の次なのだ。
冷たい金属に指が触れたその時、ポケットに隠していた携帯が振動した。
一度だけの、短いバイブレーション。
蒼(あおい)さんからの合図だった。
命綱だ。
『ルートは確保した。あと一週間。自由だ』
私を待っているであろうそのメッセージが、ほんのわずかな力を与えてくれた。
これくらい耐えられる。
あともう少しだけ。
「父の薬が…」
私は震える声で言った。
「一族の薬師が、薬草が底をつきそうだと」
玲央様は、苛立ちと焦りを込めたため息をついた。
「資金は振り込ませる。そんな些細なことで俺を煩わせるな」
彼は後部座席を指差した。
「俺の秘書がお前のためにドレスをいくつか届けさせた。夜会用だ。どれか着ていけ。薔薇のお気に入りのデザイナーのものだ」
もちろん、そうだろう。
同じような箱が五つ。
中にはきっと、彼女が好む淡いピンクや白のドレスが入っているのだろう。
私を色褪せさせ、弱々しく見せる色だ。
彼のスマートフォンが再び鳴った。
薔薇専用の着信音だ。
彼が彼女との精神感応(マインドリンク)を開くと、その冷たい仮面は再び溶け落ちた。
精神感応は神聖な繋がりであり、通常は一族の重要な用件か、番同士の最も深い親密さのために使われるものだ。
彼はそれを、私の目の前で他の女と戯れるために使っていた。
彼らの繋がりの低い振動が空気中に感じられた。
私が締め出された、二人だけの世界。
「今向かっている」
彼は、愛撫するような声で言った。
彼は私を見た。その瞳には、もはや私を認識している気配すらなかった。
「車から降りろ、結菜」
今度は、彼の声に「命令」はなかった。
ただ、冷たく、単純な拒絶だけがあった。
彼に「命令」は必要なかった。
私が従うことを、彼は知っていた。
私はドアを開け、土砂降りの中へと足を踏み出した。
冷たい雨が瞬く間に私を濡らし、薄いドレスを肌に貼り付けた。
彼は私がドアを閉めるのさえ待たなかった。
アクセルを踏み込むと、センチュリーは弾丸のように飛び出し、泥水の波を私に浴びせかけた。
砂利が私の脚を刺すように痛かった。
赤いテールランプが嵐の中に消えていくと、私の中の狼はただ小さく鳴くだけではなかった。
咆哮した。
純粋な屈辱からくる、静かで、苦痛に満ちた叫びだった。
彼は私が弱いと思っていた。
私が哀れなオメガで、永遠に彼にしがみついていると思っていた。
彼は、何も知らなかった。
一ヶ月もの間、彼の書斎は私の標的だった。
私はついに、彼の祖父の肖像画の裏に隠された金庫を破った。
パスワードは、情けないことに薔薇の誕生日だった。
中に入っていたのは、一族の秘密や財務書類ではなかった。
それは、祭壇だった。
彼女の服――スカーフ、手袋、シルクのナイトガウンまで――で満たされていた。
それらすべてから、彼女の香りが脈打つように放たれていた。
そしてその隣には、古びた革表紙の日記があった。
そこには、古代の禁じられた儀式が詳述されていた。
存在しない番の絆を、無理やり作り出そうとする儀式。
彼はただ私を無視していただけではなかった。
彼は積極的に、私たちの絆から私を消し去り、私の魂を亡霊と入れ替えようとしていたのだ。
そしてそれは、月の女神が決して許さない裏切りだった。
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