『緊急速報です。 国道257号線で追突事故が発生。 飲酒運転のトラックが前方のタクシーに追突し、タクシーは横転。 負傷者の状況は不明ですが、目撃情報によりますと、車内には臨月の妊婦が乗っていた模様です』
鼓膜を直接殴りつけるようなサイレン、悲鳴、軋む金属音。
あらゆる騒音が渾然一体となり、白川南音の世界を塗り潰していく。 鼻腔の奥までこびりつく、生々しい血の匂い。
朦朧とする意識の淵で、彼女は最後の力を振り絞りスマートフォンを掴むと、ひとつの番号を押し出した。
コール音が途切れる寸前、か細いノイズと共に通話が繋がる。
受話器の向こうから響いたのは、 聞き慣れた女の声だった。 『白川南音さん? ごめんなさい、 奏真くんなら今シャワー中なの。 電話、 代われないわ。 どうしたの? 何か急用?』
その声が耳に届いた瞬間、
南音の心臓は氷水に突き落とされたかのように冷えきった。 朝倉雪織!
また、この女。 奏真が幼い頃から実の妹のように慈しんできた義妹。 この女の存在が、奏真を自分から遠ざけた。 電話番号をブロックさせ、出産を目前に控えた今日でさえ、彼は自分をないがしろにし続けている。
南音は固く目を閉じた。 下半身から生温かい液体が流れ出す感覚。 それは、腹の子の命そのものが零れ落ちていく感覚だった。 全身を貫く激痛に耐えながら、 彼女は懇願した。 「助けて…… 257号線…… 子供を、 助けて……」 言葉を紡ぐことさえ、もはや限界だった。
突然の事故で道路両脇のガードレールはなぎ倒され、国道257号線は完全に封鎖されている。 前後の車は身動きが取れず、救急車の到着も絶望的だ。
ヘリコプターの出動要請は手続きが煩雑で、到底間に合わない。 だが、南音は知っていた。 朝倉家がプライベートヘリを所有していることを。 奏真が今すぐ飛ばしてくれさえすれば、まだ助かる望みは残されている。
『ごめんなさいね、白川南音さん。 奏真くん、今日は私の誕生日の準備で大忙しなの。 あなたの相手をしている暇なんてないのよ』 残酷なまでに無邪気な声色が、死刑宣告のように響いた。
電話は、プツリと一方的に切られた。
南音の意識が、がくりと闇に崩れ落ちる。 鼻を刺すガソリンの匂いが、爆発の危機が迫っていると本能に警告していた。
だが、彼女はふと、すべてを悟った。
死を目前にして、これまでの二十五年間の人生が脳裏をよぎる。 その半分以上を、自分を愛さない男に愛を乞うためだけに費やしてしまった。
かつては白川家の令嬢として蝶よ花よと育てられた身も、今や世間の笑いものに成り果て、その身に恥辱を刻んだ。
白川家の全財産を投げ打っても、奏真の心のかけらひとつ、手に入れることはできなかった。
もう、疲れた。 彼を愛し続ける気力など、とうに尽き果てていた。
この人生が教えてくれたのは、自分がいかに人を見る目がなかったかということだけ。 もし来世があるのなら、二度とこの過ちは繰り返さない。 彼女は、消えゆく意識の中で固く誓った。
「奥様、 今夜のチャリティーオークション、 本当にこちらのピンクのドレスをお召しに? 社長は…… その、 丈が短すぎますし、 房江は立ち止まり、それから優しく続けた。「このショートドレスは、少しカジュアルすぎるようですね。」 別のものになさった方がよろしいかと存じますが……」
家政婦の田島房江は言葉を濁しながらも、やんわりと諫言を続けた。 そう言って、鏡の前に立つ主人の反応を不安げに見守る。