その言葉は、まるで鋭い剣のように、柚月の心臓を貫いた。
中の人間は、ドアの前に誰かが立っていることには気づかず、まだ冗談を続けている。 「そうそう、お前にとって一番大事なのは桜だよな。 あの子はお前がずっと忘れられなかった相手だ。 どれだけ柚月がいようと、あの子には敵わない」
森は淡々と「ああ」と頷き、言った。 「後で桜の前で柚月の話は出すな。 彼女が誤解するといけない」
「俺たちが言わなくても、だろ?」
和希は意味ありげにため息をついた。 「あの子の性格じゃ、お前が他の女と一緒にいるなんて絶対に許さないだろうからな」
「その通りだ」 隣にいた友人も同調し、笑いながら冗談めかして言った。 「なあ、柚月ももう二十歳だろ?いっそ家に囲っておけばいいんじゃないか。 どうせあの子の境遇と、お前へのあの執着ぶりじゃ、絶対に同意するさ。 そうすれば、家にも一人、外にも一人……」
彼の言葉が終わる前に、森が冷たい視線を投げかけた。
「くだらないことを言うな。 あの子が可哀想だったから、兄さんに頼んで引き取ってもらっただけだ」
「俺の心には桜しかいない。気持ち悪いことを言うな」
「……」
ドアノブを握る柚月の手に、ぐっと力がこもった。 呼吸さえも苦しくなる。
自分の想いが、彼にとって気持ち悪いものだったなんて。
先ほどまで、すぐにでも中へ飛び込もうと思っていたのに、今はまるで全身の力が抜けてしまったかのようだ。 一言も発する気になれない。
柚月はうつむき、必死に涙をこらえながら、その場を後にした。
薄暗い通りには、人っ子一人いなかった。
このプライベートクラブは人里離れた川沿いにあり、その高い秘匿性で知られている。 だが、そのせいで、この道ではタクシーを拾うことさえ困難だった。
柚月は手の中の誕生日プレゼントを強く握りしめ、早足で歩き続けた。
先ほどの言葉が、一言一句、脳裏にこだまする。
こんなにも長い間、自分は一体何に固執してきたのだろう。
柚月……どうして自分をこんなにも卑しめるんだ?
柚月は自嘲気味に口元を歪め、自分でも気づかぬうちに涙が音もなく地面に落ちた。
前方に十字路が見える。 通り過ぎる一台の車がハイビームを焚き、その眩しい光がまっすぐに彼女の目を射抜き、激しい痛みが走った。 その瞬間、柚月はふと手を離した。
誕生日プレゼントが地面に落ち、鈍い音を立てた。
それは、彼女が賞金で買った、高価なカフスボタンだった。
だが、もうどうでもよかった。
彼女は深く息を吸い込み、携帯電話を取り出してある番号にかけた。
「二階堂 宗介、以前のあなたの提案に同意するわ。 私たち、結婚しましょう」
宗介は彼女より五歳年上で、かつては藤堂家の隣人だった。 二人は共に育ったと言える。 しかし、宗介は高校卒業後に留学し、最近になってようやく帰国したばかりだった。
彼は現在、北城に定住しており、柚月と会ったのは一度きりだ。 その時、彼は国内の結婚事情について嘆き、親戚から結婚を急かされている悩みを打ち明けた。
「柚月、君も俺も、最後は家のために結婚する運命だ。 親たちは俺たちの幸せなんて気にしない。 彼らにとって、結婚すること自体が一番重要なことなんだ」
「結末が同じなら、一緒にいて楽な相手を選んだ方がいい。 どうだ、俺たち結婚しないか」
その時、柚月はその提案を馬鹿げていると思った。
だが、今となっては、悪くない話に思える。
柚月はふと振り返る。背後の建物でネオンがきらびやかに瞬いている。まるで、かつて自分が、あの人に向けて抱いていた想いのように。
「どうせお互いのことはよく知っている。 全く知らない人と妥協するよりはましだ。 もしご両親が急いでいるなら……すぐにでも結婚の手続きをしましょう」
電話の向こうの男は、彼女がこれほどあっさり同意するとは思っていなかったようで、二秒ほど沈黙した後、低くかすれた声で答えた。 『分かった、いつ迎えに行けばいい?』
柚月はうつむき、視線がちょうど地面に落ちたプレゼントの袋に注がれた。 『インターンの手配がつき次第、そちらへ行くわ、すぐに』
宗介との結婚を決めた以上、インターンの場所を海城にこだわる必要はなくなった。
通話を終えた後、柚月はさらに長い距離を歩き、ようやくタクシーを拾って南湾別荘へと戻った。
南湾別荘は市の中心部に位置し、立地は申し分ない。 彼女の元の家からは五キロも離れていないが、その家は今や何も残っていない。
柚月が九歳の時、実家の会社が破産し、両親は巨額の借金を苦に自殺した。 家も火事で灰燼に帰した。
血に飢えた債権者たちは、幼い柚月にまでその魔の手を伸ばしかけた。
そんな彼女を、森が家に連れ帰ったのだ。
当時、彼もまだ十七歳だったが、兄の藤堂 明にきっぱりと言い放った。 「俺はまだ未婚で、養子縁組の手続きができない。 兄さん、君の名義で彼女を引き取ってくれ。 彼女の未来は、俺が責任を持つ」
森はその約束を守り、彼女に最高の生活を与え、十数年にわたって変わらぬ愛情を注ぎ、細やかな気配りで世話をしてくれた。
ただ、森は柚月の前で常に「叔父」という立場を崩さなかったが、柚月が彼をそう呼んだことは一度もなかった。
柚月は、自分と森が結ばれるのは当然のことだと思っていた。
だから、十八歳になったばかりの時、彼女は逸る気持ちを抑えきれずに彼に告白した。
しかし、森は彼女を厳しく叱責し、ろくでなしになるようなことを考えるなと言った。年齢差が大きすぎるし、自分は永遠に彼女の親族でしかない、と。
だが、そう言いながらも、彼は柚月に近づく男を誰一人として許さなかった。
柚月は、彼が嫉妬しているのだと、彼女がまだ幼すぎると感じているだけなのだと信じていた。
もう少し大人になれば、きっと分かってくれるはずだと。
柚月は窓の外を飛ぶように過ぎ去る景色を眺めながら、思い出に浸っていた。 いつの間にか、瞳が赤く染まる……大人になっても、無駄だった。
——好きじゃない、という感情は、こんなにも重たいものなのだ。
それなら、森――
あなたを自由にしてあげる。
家に着くと、柚月はそっと涙を拭った。すべての感情を胸の奥に押し込み、何事もなかったかのように、部屋へ上がる。シャワーを浴び、そのままベッドに身を沈めた。
眠れないだろうと思っていたが、意外にもぐっすりと眠ることができた。 翌朝、彼女はガチャガチャという物音で目を覚ました。
服を着て階下へ降りると、キッチンの騒音がさらに大きくなった。
柚月はあくびをしながらそちらへ向かった。 「劉おばさん、こんなに早くから……」
言葉の途中で、キッチンの人影が彼女の目に飛び込んできた。
白いワンピースを着たその女性は、オフホワイトのエプロンを腰に結び、美しいウエストラインを際立たせている。 長い髪は、ヘアクリップで無造作にまとめられていた。
彼女は……
森が忘れられない、あの元恋人だった。
鈴木桜。
「柚月、起きたの?」桜は振り返り、微笑みながら彼女に言った。 「朝食を作ってから起こしに行こうと思ってたのに、こんなに早起きだったのね」
(こんなにうるさかったら、起きない方が難しい)と柚月は心の中で思った。
彼女は胸に詰まった息をゆっくりと吐き出し、無理に笑みを浮かべた。 「どうしてあなたがここに?」 桜は口元に手を当て、少し申し訳なさそうに言った。
「昨夜……森が飲みすぎて、私が送ってきたの、シャワーを浴びさせて、着替えも手伝ってあげたわ、あなたが一人だって聞いてたから、じゃあ、朝ごはんでも一緒にって思って」
つまり、二人は昨夜、一緒に過ごしたということだ。
柚月が必死に保っていた礼儀が、少しずつ崩れ始める。声は、わずかに低くなった。「……私は、あなたに朝ごはんを作ってもらう必要はないわ」
その時、冷たい男の声が彼女の背後から響いた。 「柚月。そんな言い方を、誰に教わった?」