「何があったのか教えて、ソフィア。 きっと助けてあげるわ」 ケリー夫人は 意を決して言った。
私は苦笑いして頭を下げた。 私たちはショッピング・モールに戻ってきて、今はレストランの中にいる。 私にこの秘密ができてからかなりになる。 カリフォルニアに住み始めてから、誰にもこの話はしてこなかった。 まあ、大学の友人であるライアンを除けば、だけど。
私はテーブルの上で、手に手を重ねられるのを感じた。
「私のことお母さんだと思ってね、ソフィア。 ご両親のことも、ある程度あなたから聞いたことがあるけれど、この話は初耳だわ。 何でも話してね」
ソニア・ケリー夫人は ズンバ・クラスの生徒だ。 2年前からの仲で、いつも私のダンス教室をお友達や同僚に勧めてくれる良いお客さんだ。 それから彼女は私にとって母親のような存在で、私がキャリアに関して犠牲にしてきたことも全て知っていて、 国際的なダンス大会を開催するときにはスポンサーにもなってくれている人なのだ。
イタリアのボローニャで起きた恐ろしい過去について話し始める前に、私は彼女を見て長く、深く息をついた。
「ジョセフ・デ・ルカは元婚約者でした。 父の会社が経済危機に見舞われたとき、私は18歳で、当時はどうしたらいいのか分からなかったんです。 ある日が来るまで、父は私にジョセフ・デ・ルカという許嫁がいると言っていました。 その人のこと、知りもしないのにね。 父に理由を聞いたら、私の将来のためだと言われました。
そしてある日、父が居間で誰かと話しているのが聞こえたんです。 彼らは、その人が父の口座に送金したお金について話していました。 その人は、彼の息子と私が結婚前に親密になるように、私の実家から数ブロック離れたところに家を購入したと言いました。
ジョセフに初めて会ったとき、瞬時に感じたんです。私を見る目が何かおかしいって。 その印象を話すと、父は、そんなことはない、ジョセフは良い人で申し分のない夫だと言っていました。 それでも私は彼を信用できなかったので、いとこの助けを借りて、ジョセフについて調査してみたんです。 すると、彼がIT企業出身だということが分かりました。そして最も衝撃的だったのは、彼が麻薬中毒者で、麻薬の使用や販売を行っているということでした」
「そのこと、お父さんには知らせたの?」 彼女はぞっとしたような顔で尋ねた。
「はい、言いました。 なんなら調査結果も見せたのに、父はデマを信じるんじゃないと怒鳴ってくるだけでした!」
「デマですって? でも証拠があるなら、デマではないわよね」
「そうそう、私もそう言ったんですけど、信じてもらえなかったんです。 代わりに、父はそのまま契約書に署名しました。 そしてある日、私は将来の夫と話し合うことにしたんです。 話し合って、結婚をキャンセルするように頼もうと思って、 実家から数ブロック先の彼らの家に行きました。 玄関を開けてくれたのは使用人のレイラで、 ジョセフのことを尋ねると、彼女は彼の部屋を指差しました。 でも私が前を通り過ぎる瞬間、彼女は私の手を掴んでこう言ったんです。 部屋の中でジョセフと話すつもりなら、気を付けてねって。 私は戸惑いましたが、とにかく頷きました。
目に飛び込んできた光景は、私の視覚だけでなく全身に衝撃を与えるものでした。 私は自らの目で調査結果を確かめることになったんです。 部屋の中で、彼は2人の友達と一緒に麻薬を吸っていました。 友達にライターを持たせて、彼はアルミホイルを嗅ぐような仕草をしていました。 そして彼らが私に見られていることに気付いたとき、私は階下に向かって走り出しました。 もうかくれんぼみたいでしたよ。 私が助けを求めて叫ぶと、レイラは台所から走ってきましたが、ジョセフが睨むと背を向けてしまいました」
泣かないように瞬きしたけれど、だめだった。 目を閉じるより前に、涙が頬にぽろぽろと流れ落ちていった。
「他のメイドはどうだったの? 警備員や、他に家にいた人は? あなたが叫んでも、助けたり話を聞いたりしてくれなかったの?」
「その時は、レイラと門番1人を除けば誰も家にいませんでした。なぜでしょうね?」
「それで、その後はどうなったの? 彼とその友達はあなたに何をしたの?」
「彼らは私を部屋に連れ戻して、ベッドに押し倒したんです。 ジョセフは、自分だけで楽しみたいからと友達を家に帰しました。 押し倒されたときに叫んで抵抗したけれど、彼はびくともしなかったわ。 彼は私のブラウスも、スカートも、そして下着も引き裂いたんです。 やめてと言っても止めなかった。 お前は婚約者で、俺の妻になる女だから、俺が俺のものを使うのは当然の権利だと言われたわ」
「でもまだ結婚していないじゃない!」
「結婚するまで待つように言ったけど、耳を貸さずに私を脱がし続けたんです。 ノックの音が聞こえたとき、私はもう挿入されかけていました。 彼は興奮と麻薬のせいで、鍵をかけていないことを忘れていたのかもしれません。 ノックの後、すぐにドアが開いて、 レイラが現れたんです。彼女の顔はショックで青ざめていきました。
私は泣いて助けを求めたけれど、ジョセフに怖い顔で怒鳴られた彼女は、 私の父とデ・ルカ氏が来て居間で待っているとだけ言い残して去っていきました。 去り際の彼女の目配せで、意味が分かりました。それが助けとして彼女にできる唯一のことだったんです。 それにジョセフが気を取られた隙に、 私は全力で彼を押し返して、あそこを蹴りつけました。 そして、着けていたダイヤの指輪が掌側に回っていたので、そのまま彼にビンタしようとしました。実際は彼の首筋に当たっただけだったんですが、それでもダイヤで深い切り傷を残しました。
私は部屋の外に出て階段を駆け下りました。破れたスカートとブラウスなんて気にならないほど必死でした。 父とデ・ルカ氏は、 駆け下りてきた私を見て驚愕していました。 父はすぐに私を上着で包み、何が起こったのか、二階で何をしていたのか尋ねました。 でも私が話す前にジョセフの足音が近付いてきて、彼が真逆のことを話したんです。 お金が欲しくて私が無理やり彼に自分を抱かせようとしたのだと!
私は来た理由を説明しようとしたけれど、信じてもらえませんでした。 彼は血を流していて、みんな被害者のふりをした彼の嘘の方を信じてしまったんです。 彼はすぐに監視カメラの映像を削除して、別の日には、レイラがその家から突然姿を消しました。 彼女が私の唯一の希望だったのに、今も見つかっていません。 これが、私がボローニャを去った理由です。 父は私を信じてくれませんでした。 代わりに、私がジョセフを誘惑したと非難してきたんです。 私がどう説明しても、彼は耳を貸しませんでした。 すでにデ・ルカのお金に目が眩んでいたんです。
いとこと一緒にこの話をSNSに投稿したら、1週間後に突然削除されました。 彼らはお金の力で使って話を塗り替えて、ジョセフを被害者にでっち上げたんです。 そのときに、私はここから逃げると決めました。もはや父に見放されたと感じたからです。 そして6年後、私の人生を台無しにした人間が、また私を見つけて、やりかけの仕事を全うすると脅してきたんです」
私は、ケリー夫人に握られていない方の手で涙を拭った。
「お母さんはどうしたの? そのときはどこにいたの?」
「シアトルです。 母は私がちょうど10歳のときに父と私を残して家を出ました。 私はあえて彼女を探そうとはしませんでした。 彼女にはもう他に家庭があって、それに満足しているようでした。父からは得られなかったであろう彼女の幸せを私が台無しにしたくはないんです」
「それでもあなたのお母さんじゃない。 あなたが今どうしているのか、どんな目に遭ったのか知る権利があるわ」 特にそのジョセフとかいう男が今ここ、カリフォルニアに来ているってことは知るべきだわ」
「このことは自分でどうにかするわ、 ケリーさん。 母は、いなくなってから一度も私を訪ねてきたりしなかった。 私を娘と思うなら、母は戻ってきたはずです。いなくなるなら私を連れて行ってくれたはずです。でも違った! 私は母を失い、父も捨てて、一人で生きてきたんです。 だから今も、母のことなど必要としていません!」
「まあ、そうね、あなたの苦痛を思えば、責めることはできないわ。 私はあなたを誇りに思うわよ、ソフィア。 こうした問題を全て一人で受け止めてきたのね。 あなたは私が知るなかで、最も強く挫けない心を持った人だわ。 あなたを助けたいの」
私は両手で涙を拭いながら彼女を見た。
「あなたを支援するわ。あなたがレイラを見つけて、そのジョセフとかいう男が自身の罪に苦しむまでね!」
「ケリーさん …」
「私の息子と結婚しなさいな!」
私は、目玉が飛び出るかと思った。 ショックを受けたという言葉では表しきれないほどのショックだった。
「ケ、ケ… ケ、ケケ… ケリーさん?」 舌ももつれて話せないほどだった。
彼女は再び私の両手を握って、こう言った。
「ソフィア、私の息子と結婚しなさいな。 レイラを見つけるために息子の名前とコネを利用するのよ」
「で、でも…」
「息子には今、奥さんが必要なの。あなたならぴったりだわ」
私は目をパチクリさせた。 「息子さんと私は知り合いですらないんですよ、 ケリーさん。 それに、なぜ奥さんが必要なんですか?ガールフレンドはいないの?」
「いいえ、ソフィア。そういうことじゃないのよ。 息子と1年間だけ結婚してくれれば、その後は好きにしていいのよ」
「でも、どうして私に結婚してほしいんですか? 状況を教えてください、 ケリーさん」 なんというか、彼女には何か内緒にしていること、もしくは伝えたいことがあるということは分かった。
「息子は、会社で最重要の投資を勝ち取るために、1年間だけ仮面夫婦をしてくれる人を必要としているの。 ヨーロッパへの投資でね、それが成功したら、会社はカリフォルニア州でトップの売上高になるのよ」
「それが私に息子さんと結婚してほしい理由ですか?」
「ある意味、そうね。でもあなたの話を聞いて、ますます息子と結婚してほしくなったのよ。 あなたを助けたいの、ソフィア。 お金に困っているわけではないのは知っているけれど――」
「あら、だめよ、だめだめ… ねえ、 ケリーさん。 息子さんと結婚することで沢山お金をくださるつもりなら、 悪いけれど受け取れないわ。ノーと言わせてもらいます」
「そんな。でもあなたが望むなら、1円も払わないわ。 息子と結婚するだけで、ジョセフを訴えるのに必要な唯一の目撃者を見つけることができるのよ。 息子についても、心配いらないわ。 優しい人よ、ソフィア。 もしいつかあなたがだんだん息子を好きになってくれたら、私は世界一幸せな母親と姑になるわね」
ケリーさんが最後に付け加えたことに私は笑った。
「でも単なる政略結婚なんですよね? 愛も、いかなる感情も、この結婚には関係ないってことだわ」
「そうよ、あくまで仮定の話をしただけ。 それで、どうするの?」
「ど、どうしましょう、 ケリーさん。 人生を賭けた決断だわ」
「ソフィア、たった1年よ。 その後は離婚届を出して結婚生活をやめていいのよ」
「息子さんは、私と話していることを知っているんですか?」
「知らないわ、でも説明するつもり」
:回想ここまで
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